フス戦争の貴族たち ネタバレ

 フス戦争漫画"http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131"に当時のボヘミア貴族たちが登場していたので、彼らについて調べてみよう。いつものように参考文献はLützowのThe Hussite Wars"https://archive.org/details/hussitewars00lt"が中心。歴史物の宿命だがネタバレとなる。取り上げるのはp608に出てくる「ヴァルテンベルク家」「ロジュンベルク家」「シュヴァンベルク家」。この3者を敢えて載せたのは、おそらく著者の計算だろう。彼らの行動は極めて対照的であった。
 
 まずは作中に出てくる貴族の中でも最も目立っているヴァルテンベルクのチェニェク"http://cs.wikipedia.org/wiki/%C4%8Cen%C4%9Bk_z_Vartemberka"から。彼はある意味、この時期のボヘミア貴族を代表するような人物である。そしてフーシェもびっくりするほどの風見鶏っぷりを発揮した男でもある。
 1419年時点で彼はジギスムントから摂政の地位に任命されている(Lützow, p36)。つまりこの時点ではジギスムントとの関係もそう悪くなかった。だがカトリック支持派であるジギスムントの対応はチェネクを含めた貴族たちの一部を怒らせ、チェネクは1420年、プラハでジギスムントをボヘミア王として受け入れないとの宣言を出す(p42)。この宣言には後に出てくるロジュンベルクのオルドリヒも署名しており、つまりこの時点でこの2人は明らかにフス派側にいたことになる。
 しかしボヘミアの貴族たちはチェニェクが期待したほど反ジギスムントではまとまらなかった。結果としてフス派内部ではプラハの下層住民など過激派が力を持つようになった。かくしてほんの数週間後、ヴァルテンベルクのチェニェクはフス派を離れ、ジギスムントと休戦を結んでプラハにある2つの城をジギスムント側に明け渡す(p43-44)。ジシュカがヴィトコフで勝利し、ジギスムントがプラハを引き揚げたのはその後のことであり、つまり漫画に描かれた時点でチェニェクは実はフス派ではなく皇帝側についていたのだ。ただ完全に反フス派になったわけではなく、その後でジギスムントとボヘミアの和解をとりなそうともしている(p62)。
 彼が再び手のひらを返したのは1421年のクトナー・ホラ陥落がきっかけ(p91)。だがしばらくウトラキストの側にいた彼はやがてまたカトリックへと転じ、1423年にはオレブ派との間でフラデツ・クラーロヴェーを巡って戦闘を繰り広げている(p147)。同年のホリッツの戦いではジシュカに敗れ「僅かな供だけを連れて戦場から逃げた」(p149)。その後、フス派の軍事攻勢がボヘミアの外まで及ぶなどそちらの優位が明らかになった時点で、チェニェクはもう一度、手のひらを返してウトラキストになる。そして少し後、1425年秋に死亡した(p187)。
 こういう人物は大体後世からの評判が悪くなる。チェニェクも例外ではないが、Lützowは彼について多少の弁護を試みている。
 
「彼はフスの教えを堅く信じ、二種聖餐に対して同時代の大半のボヘミア人が抱いていたのと同じだけの重要性を感じていた。彼はまた、大半の同胞と同じように、極めて堕落したボヘミアの僧侶たちに真のモラル改革をもたらすには、僧侶たちに清貧を強いるしかないとも信じていた。同時にヴァルテンベルクは、ボヘミア王の土地に対する正統かつ世襲の支配者であるルクセンブルク家の君主に対する封建的献身を、多くの他のボヘミア貴族たちと共有していた。従ってヴァルテンベルクの立場は極めて困難であり、より有能で誠実な人間であっても、完全に対立する2つの視点を調和させる試みにはおそらく失敗したであろう」
p36-37
 
 Lützowによれば「多くの他のボヘミア貴族たちも同じ難しい立場にあった」(p37)そうで、その意味ではヴァルテンベルクは当時の貴族の典型例だったのかもしれない。彼に焦点を当てることで貴族の行動を象徴させるのは、物語を作るうえでは適当な方法なんだろう。
 
 続いてロジュンベルクのオルドリヒ"http://cs.wikipedia.org/wiki/Old%C5%99ich_II._z_Ro%C5%BEmberka"。漫画でも少年として描かれているが、彼は生まれが1403年なので実際にフス戦争が始まった時点ではまだ10代半ば過ぎという若さだった。おかげで彼はチェニェクのように途中で死ぬことなく、フス戦争の最後まで、さらにはそれから先も生き延びて歴史を見ることになる。
 ロジュンベルク家は南ボヘミアに拠点を持つ大貴族であり、ジギスムントの前王であるヴァーツラフの時代には国王を相手に戦うだけの力を持っていた。ジシュカが片目を失ったのは、このロジュンベルク家相手の戦争時だとも言われている(p11)。ちなみにロジュンベルク家の子孫が、あのライプツィヒの戦いでナポレオンを破った連合軍司令官のシュヴァルツェンベルクらしい(p320n)。
 チェニェクが最初にフス派について反ジギスムントの宣言を出したとき、ロジュンベルクのオルドリヒもそれに同調したことは既に述べた。だがチェニェクがそうだったようにオルドリヒも早々にフス派を離れてジギスムント側に転じた(p46)。そして以後、今度はチェニェクと異なり、彼は基本的にジギスムント側の立場を保持し続ける。ボヘミア内におけるカトリック派貴族を代表するような存在になっていくのだ。
 南ボヘミアを拠点とするオルドリヒがそれから長々と戦い続けるのは、過激派の拠点となったターボルである。ジシュカがプラハ救援に向かった際にターボルに残された多くの守備隊は、後にオルドリヒとハプスブルク家のアルベルトが送り込んできた兵を撃退するのに成功する。だがその後もオルドリヒとターボルの争いは続き、ターボル派がボヘミア各地へ兵を送るのを難しくさせる場面もあった(p63)。1420年暮れにはジシュカ自身とも戦っている(p70)。
 かといって、年がら年中ひたすら戦争していたわけでもない。状況に応じ、オルドリヒはフス派と休戦を結ぶこともあった。フス派と交渉する件についてジギスムントに対し言い訳の手紙を送ったこともあるという(p178n)。硬軟取り混ぜながら戦ってきた彼は、最終的にリパニの戦いにおいてウトラキストたちと連携。オルドリヒの軍勢を指揮するクルフレベツのミクラーシュが展開した戦術は、この戦闘でターボル派と孤児たちを翻弄し敗北させるのに大いに寄与した(p334)。ジギスムントの最終的勝利に貢献したことになる。
 
 最後の1人であるシュヴァンベルクとは、おそらくシュヴァンベルクのボフスラフ"http://de.wikipedia.org/wiki/Bohuslav_von_Schwanberg"のことであろう。少なくともシュヴァンベルクとの名でLützowの本に出てくるのはこの人物しかいない。こちらはロジュンベルクのオルドリヒとは逆にフス派、それも過激派であるターボル派に殉じた人物である。
 と言っても彼も最初は他の貴族たち同様、ジギスムント派であった。wikipediaによればプルゼニの町を守る役目などを担っていたそうで、結局プルゼニはこの戦争において反フス派の拠点になっていく。しかしボフスラフの運命が変わったのはこの町ではなく、クラシーコフ近くのシュヴァンベルク城。1421年にこの町で包囲された彼は力尽きて降伏を強いられた。だが命まで奪われることはなく、しばらく身柄を留め置かれた。
 ボフスラフは身柄を買い戻すようジギスムントに頼み込んだが、これは無駄に終わったという。おそらくはそれが理由で1422年に彼はターボル派に加わり、以後は熱心なターボル派として活動する。後にジシュカが死に、後を継いでターボルのリーダーとなったフヴェズダまでが戦死した時、とうとうボフスラフはターボル派のトップにまで上り詰めてしまう(p183)。しかし彼が指揮を取った期間は短く、オーストリア遠征の際にレッツの戦いで重傷を負った彼は直後に死亡した(p184)。
 
 以上、3人のボヘミア貴族が歩んだ道筋はいずれも独特で興味深い。内戦ならではの現象だが、貴族たちも一枚岩ではなかったことがよく分かる。ただ、ジギスムントがプラハから引き揚げた時点で彼ら3人がいずれも反フス派に属していたことはおそらく事実。漫画では敢えて逆の展開を採用しているわけで、これから彼らをどうストーリーに絡めていくつもりなのかを注目したいところだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック