イエナのネイ

 今回のナポレオン漫画で主役となっているのがネイ元帥。彼の勇敢すぎる、というか無謀とも言える攻撃のためフランス軍の戦線に危険が及び、そのため後でナポレオンに叱られるという話だ。この話はかなり有名と言っていいだろう。
 例えばDavid ChandlerのThe Campaigns of Napoleon"http://books.google.co.jp/books?id=hNYWXeVcbkMC"にはネイが敵騎兵の攻撃を受けて「方陣を組むことを余儀なくされ」、それを見た皇帝が「ベルトランに騎兵2個連隊とともに駆けつけるよう命じた」(p484)と書かれている。19世紀に遡ればThiersの本にもこの話が出てくる。ナポレオンは「背後にいると思っていたネイ元帥がプロイセン軍と交戦していることに一層驚いた」。そしてベルトランを応援に送り出し、ランヌにも歩兵を前進させるよう命じているのだ("http://books.google.co.jp/books?id=cu8O2pgvCvYC" p68)。
 ネタ元は何か。こちらの本"http://books.google.co.jp/books?id=1DLRMQfzyVwC"ではラップが「皇帝はネイの強情さに極めて不快になった。彼はこの件について――丁重にであったが――小言を述べた」(p56)と回想したことになっているが、ラップ回想録"http://books.google.co.jp/books?id=0gdBAAAAYAAJ"のイエナに関する部分にはネイへの言及はない。そう、この話のソースはラップではなくサヴァリーである。そう、「ドゼーが砲声を聞いて足を止めた」という史実ではない話"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/rivalta.html"を書き残したあのサヴァリーだ。
 
 だが実際にサヴァリーの回想を読むと、おかしな部分がある。彼によればネイは「ランヌの右側におり、プロイセン軍の最左翼を攻撃した」。敵との間で村の奪い合いを演じた彼は「もし我々の最右翼にスールト元帥の師団が到着し、多大な疲労にも関わらず前進し、極めて不自然な場所にある陣地を頑強に保持しているネイ元帥の地点を完全に迂回しなければ、十中八九、多くの兵を失っていた」("http://books.google.co.jp/books?id=5zMOAAAAQAAJ" p182)ことになる。
 このネイの配置は史実ではない。ネイ自身がイエナの戦いから5日後の10月19日に皇帝に宛てて記した報告書には、彼の部隊が「ランヌ元帥の左側」("http://books.google.co.jp/books?id=TteUuMfR1_EC" p647)に布陣したと明確に述べているのだ。ランヌの「右側」と書いているサヴァリーの記述とは真逆。確かに会戦前にナポレオンが出した命令では、ネイは「ランヌの右側へ向かう」(p622)ことになっていたが、実際は別の方角へ前進したのだ。
 サヴァリーの文書を読めば単に右と左を書き間違えたのではなく、本気でネイがランヌの右側にいたと思っていたのは間違いない。だがより信頼性の高い古い史料には違うことが書かれている。従ってサヴァリーの回想録は当てにならない史料と見なすべきだろう。ここは「もったいない」と考えるのではなく「いらない」と判断し、イエナ戦におけるネイの活動を調べるうえでサヴァリーの回想を排除する。すると、一般に言われているのとは全然違う光景が見えてくる。
 ネイは第6軍団前衛を構成する部隊のうち、第10猟騎兵と第3ユサール騎兵を使ってプロイセン軍の砲兵や騎兵と戦わせた。一方、歩兵は擲弾兵とヴォルティジュールで小さい方陣を2つ組ませ、敵騎兵に抵抗した。その際に救援に訪れたとしているのが「トレイヤール将軍の軽騎兵師団」(p648)だ。続いてネイは歩兵、騎兵を前進させるが、抵抗が激しかったため一度「少しばかり後方へ移動」(同)を強いられた。だがランヌ軍団の前進と、第6軍団の増援到着により、再び前進が開始された。以上が第6軍団前衛による大雑把な戦闘経緯だ。
 ネイはこの報告の中で「皇帝陛下の副官」であるベルトランに言及しているが、彼が応援に駆けつけたという言い方はしておらず、「前衛部隊のあらゆる移動についてきた」(p649)という言い方にとどめている。またその報告中において、Chandlerが書いているような予備騎兵の増援という現象にも触れていない。ネイを助けたのは、あくまで彼の両側にいたランヌやオージュローの部隊だ。つまり、窮地に陥ったネイを見てナポレオンが救援を送ったという話を裏付ける記述がそこにないのである。
 ナポレオン側の記録を見ても同じ。イエナの戦い直後である15日午前5時半に参謀長からネイに宛てて出された命令では、「全軍団とともにエルフルトへ出発し、騎兵の大半とともにそこへ向かってその町を可能な限り早く占拠するよう命じられているベルク大公を支援せよ」("http://books.google.co.jp/books?id=h0ZBAAAAIAAJ" p3)と今後の方針は述べられているが、イエナの戦いにおける失敗への叱責はない。同じく15日に出された大陸軍公報でも、ネイに言及している場所はいくつもあるが、彼の行動に問題があったとしている部分は皆無だ。
 そもそもサヴァリーが言うように、イエナの戦い直後にナポレオンがネイに直接小言を言うのは不可能である。なぜならナポレオンが15日午前3時にイエナから皇后へ手紙を書いている(p1)のを見ても分かるように皇帝が戦闘後にイエナに引き揚げたのに対し、プロイセン軍を追撃したネイは14日のうちにヴァイマールまで到達していたからだ(http://books.google.co.jp/books?id=TteUuMfR1_EC"" p645)。ヴァイマールとイエナの間は20キロメートル以上離れており、直接顔を合わせられる距離ではない。
 もちろん、理屈の上では14日夜にナポレオンへの報告書を書いた後でネイがイエナへとんぼ返りし、叱責を受けてまたヴァイマールへ急ぎ向かい翌日未明の命令を受け取ることは可能。だがこれは机上の理屈に過ぎず、現実味は全くない。サヴァリーが書いているように「彼[ナポレオン]がこの件についていくつか[ネイに]話す」("http://books.google.co.jp/books?id=5zMOAAAAQAAJ" p182)ことなど物理的に起こりえないのだ。
 実際にイエナにおけるネイの活動はどの程度のものだったのか。Foucartはネイの前衛部隊が戦ったフィアツェーンハイリゲン村を巡る争いについて、オージュローやランヌ軍団の記録も合わせて脚注でまとめている("http://books.google.co.jp/books?id=TteUuMfR1_EC" p626-627)のだが、それを読むと第6軍団の行動はほとんど第5軍団による攻撃の添え物としてしか描かれていない。兵力的に考えてもネイの活躍度合いより、ランヌやオージュローの方が実効性のある貢献をしたのは間違いないだろう。
 
 もう一つ、ジョミニの話にも触れておこう。ネイはイエナの戦いに関する報告書の中で、ベルトランや前衛部隊指揮官であったコルベールらの活躍に触れた以外に、この戦史家兼軍事理論家にも触れている。曰く「陛下が戦闘の間、私に追随することを許したアジュダン=コマンダンのジョミニを、本日まで私の近くにとどめておくことは必要だったと信じています。この士官は今回、その価値と能力を正当化できるよき意見をもたらしました。陛下の彼への好意をお願いします」(p649-650)。
 ネイの話には事前談がある。戦役が始まる直前の1806年9月20日、ナポレオンはベルティエに対し「メミンゲンにいる第6軍団アジュダン=コマンダンのジョミニをマインツへ来させるよう既に記したかどうか分からない。もしまだ記していなかったのなら、彼を司令部で使うのが私の意図なので司令部に向かうよう命令を与えよ」("http://books.google.co.jp/books?id=UK3SAAAAMAAJ" p236)との命令を出しているのである。
 帝国司令部でジョミニに何をさせようとしていたのかは分からないが、漫画で描かれているようにジョミニが後からネイに合流したという部分はフィクションだろう。実際には彼は最初からずっとネイとともに行動していたと思われる。
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