承前。イアン・モリスの作成した「社会発展指数」"
http://ianmorris.org/docs/social-development.pdf"について。彼は自分の指数についてThe Measure of Civilisation"
http://books.google.co.jp/books?id=uahKmtRcOEQC"なる書物も出しているのでそちらの方が内容は詳しいと思われるが、全体像を掴むには最初に紹介したpdfで充分だろう。また後者の本を読んだ人の書評"
http://lackthereof.asablo.jp/blog/2013/04/28/6793162"も日本語で読めるので、詳細はそちらを参照してほしい。
見てみると分かるのだが、指数を構成する4要素のうちエネルギー獲得量と組織化については、ある程度客観的なデータを使った分析が可能になっている。エネルギー獲得量は1日当たり1人の人間が使うエネルギー量。2000年の米国人は22万8000キロカロリーを使っていたので、これを基準に点数をつけていく。この指数については正確なデータは無理でも、文献資料や考古学的資料を使って推測することは可能だし、そこから比較的客観的な指数推移を再構築するのは難しくないだろう。実際、そうした研究はこれまでにもある"
http://www.wou.edu/las/physci/GS361/electricity%20generation/HistoricalPerspectives.htm"。
組織化についてモリスが使ったのは都市の規模。確かに大都市が存在するということは複雑なシステムを動かす能力をその社会が持っていることを示しているのは事実だろう。また歴史上の都市規模については先行研究も充実している"
http://en.wikipedia.org/wiki/Historical_urban_community_sizes"。これを使えば割と容易に指数の変化を測定できる。ちなみに2000年時点で世界最大の都市は東京の2670万人(行政区ではなく都市圏人口ではないかと思われる)。
一方、残る2要素についてはかなり主観的な指数だ。戦争遂行力については2000年の西洋(つまり米国)を基準とし、1900年の西洋をその50分の1、1800年はさらに1900年の10分の1だと推計し、後はそこから類推を重ねている。こうした推計に際してモリスが参考にしたのはウォーゲーム(ダニガンの文献などが参考に挙げられている)。ただしゲームにおいては実際に対峙した両軍の戦力を推計することはあっても、異なる時代の戦力を比較することはほとんどない。だからモリスによる推測部分がかなり入っていることは間違いない。
ただモリスによれば「1900年を50分の1にするのではなく100分の1、あるいは25分の1にしても大きな差は出ない」。それは確かにその通りで、1900年時点の西洋社会発展指数全体に占める戦争遂行力の割合は3%弱だ。これが6%になるか、あるいは1.5%になったとして、指数トータルの位置づけは(特に東洋との対比において)あまり変わらないだろう。まして1800年以前となるとその割合は1%以下に落ち込んでしまい、誤差のレベルと化す。
情報技術の方はまだ戦争遂行力よりはデータに依拠しようと努力しており、識字率をベースに置いている。ただ指数算出の際には情報インフラの発展に伴う乗数をかけるようにしており、同じ識字率でも情報インフラが充実しているほど高い指数になるようにしている。とはいえエネルギー獲得量や都市の規模に比べると、識字率のデータを過去に遡って集めるのは難しい。実際には識字率の内容(高度な文章や加減乗除を超える計算ができる人間と、自分の名前を含めた一部の単語しか書けない人間では指数が異なる)まで踏み込んで分析しているため、推測部分はより膨らむ。乗数になると客観的な定義は困難だ。
でもこちらも戦争遂行力と同じ、いやそれ以上に昔の数値は「誤差の範囲」となっている。1900年の西洋で情報技術が社会発展指数に占める比率は2%弱、1800年だと0.6%まで縮小してしまい、あってもなくても大差ない水準となっている。つまるところ2000年という最新の数字を除けば戦争遂行力も情報技術も社会発展指数の中では脇役どころかチョイ役でしかないのだ。社会発展の大半はエネルギー獲得量と組織化(を示す都市の大規模化)で測定できる時代がかなりの長期にわたって続いたことになる。
ではエネルギー獲得量と組織化を比べた場合、どちらの比重が大きかったのか。これまた指標を見れば明確で、圧倒的にエネルギー獲得量の方が重要だった。例えば西洋で見ると指数の起点となる紀元前1万4000年時点では指数の全てがエネルギー獲得量で占められている。その時代は紀元前8000年まで続いており、紀元前7000年になってようやく組織化に由来する指数が0.01(指数全体の0.1%)だけ登場する。さらに紀元前3000年になって組織化の比率がやっと1%を突破。1割以上に達したのは紀元前100年、つまりローマが全盛期を迎えようとしている時だ。
ローマ帝国崩壊後、組織化の指数は大きく落ち込む。紀元後700年の数値は1.17と、ピークだった紀元1年から200年までの水準に比べ9割近くも下がっている。指数全体に占める割合も4%台まで再び低下しており、次に10%以上になるのは紀元後1300年(マムルーク朝時代のカイロ)になってからだ。組織化が20%を超える割合を占めるようになるのはやっと1900年のこと。それまでの長い歴史において、エネルギー獲得量が指数の8割以上を占める状態がずっと続いていたことになる。
西洋より後から発展が進んだ東洋になるともっと極端。組織化が0以上の数値を記録するようになるのは紀元前3500年で、西洋に遅れること3500年だ。しかし比率が1%を超えたのは紀元前2250年となって遅れを随分取り戻し、10%超の達成は西洋と同じ紀元前100年に成し遂げた(前漢の長安)。その後、西洋より先に紀元後200年でこの割合は4%弱まで低下するが、回復も早く600年(隋唐帝国の始まり)には再び10%台を達成している。それどころか700年には20%台まで乗せてしまっているほど。だがそこから上にはなかなか上昇せず、結局1900年にはまた西洋に追い抜かれている。
微妙な違いはあるものの、西洋でも東洋でも指数に占める比率が長期にわたって圧倒的に多かったのがエネルギー獲得量だった点は同じだ。また時系列で見ても、まずエネルギー獲得量が増えた後に組織化の数値が0を脱して拡大への道を歩んでいる。そしてまた組織化の数値が大きく下落する際にはエネルギー獲得量も下がっていることが多い。要するにまずエネルギー獲得量が基礎にあり、その数値に支えられる格好で組織化の数値が拡大するという傾向が見られるのだ。戦争遂行力や情報技術といった要素が上昇するのは、さらに遅れている。
要するに何よりもまず社会全体として1人あたりの獲得エネルギー量を増やせなければ、社会の発展などあり得ないのだろう。エネルギーが増え、余裕ができた段階で、ようやく次の組織化が進む。組織化が進むということは分業が進むことを意味しており、分業が進むには直接エネルギー獲得を目的としない人間を食わせていく必要がある。エネルギーが増え、分業の余地ができ、それから組織化が進み巨大な都市が生まれ拡大する。そうした歴史の流れがこの指数から窺える。
戦争遂行力や情報技術については、モリスの主観が強いため、エネルギーと組織化ほどはっきりと断言はできない。だがこれらの要素が組織化より後に発展してきたと考えるのは、おそらくそう間違ってはいないだろう。両者のうち戦争遂行力が先に来て情報技術は後回しだと考えるのがいいかどうかは不明だが、モリスのような計算式であれば戦争遂行力が先行したという結論になるのだろう。
モリスの計算式が間違っている可能性はあるのか。個別の数値の推定については「誤差の範囲」で済む部分が多いのは確かだが、もっと問題な部分が1つある。それは4要素の最大値をそれぞれ250点としたのが妥当かどうかだ。例えばエネルギー獲得量より組織化の方が10倍大切だとしたらどうか。その場合、ローマ帝国や前漢帝国時代において既に組織化の方が指数に占めるウェートで勝っていた計算になる。同じ問題は戦争遂行力や情報技術にも当てはまる。それぞれモリスの計算より100倍重要だったとしたら、流石に誤差の範囲とは言い切れなくなる。
スポーツなら、例えば得点や勝敗という最終的な結果を対象に回帰分析を行い、各要素の重要性に重みづけをすることができるだろう。だが社会発展を示す最終的な得点はそもそもない(だからこそこういう指数を作ったのだろうが)。回帰分析したくともできないのが現実だ。だからモリスが前提とした「4要素それぞれの最高点は250」という計算方法の妥当性も、実は評価が難しい。
それでも敢えて回帰分析のための最終的な「得点」となる数値を探すのなら、もしかしたら「人口」がそれに当たるかもしれない。西洋と東洋、それぞれに属していた人口の推移を最終的な発展度の結果と見なし、それを推計し、モリスの指標を使って回帰分析したらどのような結果が出てくるか。とても興味深いので誰か計算してほしい。
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