19世紀版ブラック企業

 さて今月もナポレオン漫画の挿話について史実との比較を。それにしても乾野さんによるデルダフィールド本翻訳"http://grenada.web.fc2.com/"の影響はでかい。今回の話も基本こちらが元ネタだし、もしかしたら今後、日本におけるナポレオニック入門書みたいな位置になっていくのかもしれない。あくまで軽い読み物に過ぎず、これを基に語ってしまうと恥をかく可能性があるので、できればそういうものとして受け入れてもらいたいところだ。
 
 で今回はまずベルティエ。彼がナポレオンの下でどれほどこき使われていたかを示す史料について調べてみよう。彼が「今晩16回目」とつぶやいている場面があるが、史料にあるのは実は「17回」という数字だ。ドニエの書いたItinéraire de l'Empereur Napoléon pendant la campagne de 1812"http://books.google.co.jp/books?id=AhpbAAAAcAAJ"にある「ワルシャワで(1807年1月8日に)皇帝は[ヌシャテル]公を同じ夜に17回呼び出した」(p195)がそれだ。
 面白いことに、この件についてArthur Chuquetの英訳本であるHuman voices from the Russian campaign of 1812"https://archive.org/details/cu31924024323341"には、脚注で「ワルシャワでは1807年1月8日の1晩に皇帝がベルティエを実に17回も呼び出したとデデムが言及している」(p90)と書かれている。ドニエでなくデデムになっている理由は、おそらく英訳者が間違えたため。Chuquet本の原著"http://books.google.co.jp/books?id=gLMAWFzfVfsC"にはきちんとドニエと書かれている(p107)からだ。
 ナポレオンもワーカホリックだったが、ベルティエも同じだった。Mémoires du général Lejeune"https://archive.org/details/mmoiresdugnrale01lejegoog"には、ダリュの語った話として「私はたった9日と9晩、眠らずに過ごしたことがあるだけで、[ヌシャテル]公は眠らずに13日間、乗馬するか働いていた」(p164)との文章が記されている。事実だとしたら化け物だし、誇張があるとしてもかなりの仕事中毒だったのは事実だろう。
 でもその彼でさえナポレオンの下で仕事をするのが辛かったという話も伝わっている。メヌヴァルのMémoires pour servir à l'histoire de Napoléon Ier"https://archive.org/details/mmoirespourser03mnuoft"(英訳本はこちら"https://archive.org/details/memoirsofnapoleo03mnuoft")には、「こんな仕事をしていたら死んでしまうだろう。ただの兵卒の方が私より幸せだ」というベルティエの涙目の愚痴が記されている(p48、英訳本p847)。大陸軍はつまりブラック企業だったようだ。
 
 次にマルモンの件。漫画では今回の主役みたいになっており、パリの酒場でナポレオンと殴り合いをするシーンも描かれていたが、もちろんフィクションである。なぜなら彼はこの時期、パリにいなかったからだ。Mémoires du maréchal Marmont, Tome Deuxième"http://books.google.co.jp/books?id=NK1OAQAAIAAJ"を見ると、マルモンは1805年戦役終了後、そのまま南方に進んでイタリアに駐留していた(p360-)。
 Correspondance de Napoléon Ier, Tome Onzième."http://books.google.co.jp/books?id=Ha3SAAAAMAAJ"には、1805年12月27日にナポレオンがベルティエに出した命令書が載っており、そこではマルモンに対してフランス軍2個師団を率いてフリウル方面を占拠せよと書かれている(p515)。マルモンはそこでイタリア方面軍を指揮するウジェーヌの配下に入った。そして翌1806年7月9日、ナポレオンはウジェーヌに対し、マルモンをダルマティア方面軍の指揮官に任命したと知らせている(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Douzième."http://books.google.co.jp/books?id=46zSAAAAMAAJ" p529)。
 それに対し、デルダフィールドは「その年[1806年]の夏、マルモンに特別な任務がおりた。ナポレオンは組織力のあるマルモンをアドリア海沿岸のイストリアに送り、この地域を再興させることにした」と記している。あたかも1806年になって初めてアドリア海沿岸に彼を送り込んだかのような書きぶりだ。この文章だけを参照にすれば、この年にマルモンがフランスを出立してダルマティアに向かったと考えるのも無理はない。もちろん史実は違うわけで、だからデルダフィールドの本だけ読んで史実がどうこうと語るのは避けた方が安全。フィクションのネタに使うのならいいけど。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック