ヴィトコフ後

 フス戦争漫画"http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131"について、ちょっと言及しておこう。最新話では十字軍によるプラハ攻囲が失敗に終わったところまで描かれている。最終的にはフス派の馬車が十字軍の幕営地まで入り込んでジシュカが皇帝に切りかかるという超展開となったが、漫画なので面白ければよし。オージュローとカルノーの一騎打ちと似たようなもんだ。十字軍の壊走が史実かどうかなど気にする必要はない。
 だがこちらのサイト"http://www002.upp.so-net.ne.jp/kolvinus/tabol/tabol3.htm"となるとどうだろうか。特にフィクションと書いていないので史実を記しているつもりかもしれないが、少なくとも私の読んだ本を見る限り全然違うことが書いてあった。たとえばヴィトコフの戦いで「『戦車』を盾に大量の火器を並べ」とあるのは、前に紹介したヴァヴリネツの記録"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54396543.html"と比べても明らかに異なる。
 ヴィトコフ戦後の動向も同じだ。上記サイトによれば「十字軍は敗走」し「街道は、戦場から逃走する十字軍兵士で満ちた」と記しているが、LützowはThe Husste Wars"https://archive.org/details/hussitewars00lt"で全く違うことを記している。ヴィトコフの戦いで「実際にはフス派は決定的勝利を得ておらず、多くの十字軍は交戦すらしていなかった」(p54)。この戦いは華々しい勝利ではなく、あくまで政治的な転換点だったのである。
 戦いの後に両軍の間で和解の試みがなされるが、ローマの代表は妥協案を拒絶する。その直後、十字軍は散り散りになり始めた。ドイツ人の十字軍とボヘミアのカトリック貴族の間に不信感が生じていたうえ、両者ともジギスムントの姿勢に不満を抱いていた(p57)ためだ。ジギスムントはプラハの町を自らの財産と考えていたため、破壊を恐れて十字軍に砲撃を許さなかった(p58)し、彼自身が最前線に姿を見せなかったことも問題視されたという。
 結局、プラハがすぐに陥落しそうになく、調停も不調に終わった時点で、攻囲を維持することは財政的に不可能になった。ジギスムントはボヘミア王としての戴冠だけ済ませてさっさとプラハ周辺からカトリック側の拠点であるクトナー=ホラへ後退(p60)した。つまり「大兵力の軍勢が寡少な規模の軍に完膚無きまでに破られ」て「一様に皆恐怖に震え」ながら逃げ出したというのは、どう見ても話を盛り上げすぎである。実態はもっと地味で迂遠な展開をたどったようである。
 いつも指摘していることだが、歴史関連の文献を読むときには扇情的に面白おかしく書かれたものは信用しない方が安全。現実はずっと泥臭く複雑ですっきりしないものだった可能性が高い。
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