次のアワーズ発売が迫っているが、ナポレオン漫画について。と言っても今回も箸休めみたいな回だったので肩の力を抜きながら史実と比較してみよう。
オージュローに関する話はほぼマルボの回想録由来と見ていいだろう。フランス語はこちら"
http://books.google.co.jp/books?id=LlIwAQAAMAAJ"、英語はこちら"
http://books.google.co.jp/books?id=dOBOAQAAIAAJ"を参照のこと。漫画の作者はマルボから直接引用したのかもしれないし、あるいはもしかしたらデルダフィールドの「ナポレオンの元帥たち」"
http://grenada.web.fc2.com/"に引用されているこの話を使ったのかもしれない。
デルダフィールドの書いている「兵士に1ルイ、伍長に2ルイ、軍曹に3ルイ」云々という話はマルボが書いている通り(原著のp276)。ただしデルダフィールドが「中尉」としている部分についてマルボは「少尉」(sous-lieutenants)としているのが微妙な違いとなっている。またデルダフィールドは「さらに六つの軍団、騎兵、親衛隊が到着する予定」と書いているが、マルボが言及しているのは6個軍団及び親衛隊(p276-277)だけである。漫画作者はどうやらデルダフィールドを参照したらしいことが分かる。
オージュローの妻に関する言及もマルボの中にある。マルボがフランクフルトを通ってパリに戻る時「よき人にして素晴らしい人であった妻の死を聞いたばかりのオージュロー元帥が大いに悲し」んでいたのを見たという(p283)。
では史実はどうだったのか。オージュローの配偶者はともかく、フランクフルトへの賦課の話がどこまで本当かは疑わしい。まずオージュローがフランクフルトに駐留していたことはおそらく事実で、1806年1月24日にナポレオンからオージュローへ宛てた命令には「1月28日にそなたの軍団の1個師団でフランクフルトを占拠せよ」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Onzième."
http://books.google.co.jp/books?id=sm6H4Q-XnUwC" p556)との1文がある。同月30日のベルティエ宛の命令には「第7軍団はフランクフルトにいる」(p563-564)とあるので、オージュローがこの命令に従ったのは確実だろう。
ナポレオンの意図は自軍の維持費をドイツに負担させることにあった。2月5日、ドゥジャン宛に出した手紙の中で彼は「これら全ての軍団は[ライン]右岸で生活する。オージュロー元帥はフランスと親しい小諸侯を可能な限り助けるためフランクフルト前面まで戦線を延ばすことができるが、軍団の必需品は全てフランクフルト市が提供するものとする」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Douzième."
http://books.google.co.jp/books?id=46zSAAAAMAAJ" p13)と記しており、単なる意趣返しではなくもっと冷徹な計算のうえでフランクフルトに賦課を負わせようとしていたことが分かる。
オージュローがそれに対してどう反応したかは分からないが、ナポレオンが賦課を緩めようとした具体的な証拠は見当たらない。それどころか5月14日になってもオージュローに対して「フランクフルトの執政官に圧力をかけよ。彼らは200万の負担金を支払う必要がある。それが支払われるまで、私の兵はこの町を撤収することはない。フランクフルトの住民は英国商品の取引で充分に儲けている」(p373)と命じており、容赦なく金をむしろうとしていたようだ。
ナポレオンが方針転換をしたのは1806年9月2日になってから。ライン同盟首座大司教侯のカール=テオドール・フォン=ダールベルク"
http://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Theodor_Anton_Maria_von_Dalberg"への手紙において「あなたの要望を支持し、フランクフルト市が殿下にまだ属していなかった時に課せられた負担金の残りについて支払いを免除するよう命令しました。彼らの喜びが私の望みであるとの証拠を与えられることを嬉しく思います」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Treizième."
http://books.google.co.jp/books?id=UK3SAAAAMAAJ" p124)と記している。
つまりフランクフルト市民を助けたのはダールベルクであってオージュローではなさそうだ、ということである。少なくともナポレオンがこれを材料にダールベルクに対して恩を売ろうとしていたことは事実であろう。もちろん他に具体的な証拠があれば別だが、そうでなければこの逸話はオージュロー好きのマルボによる贔屓の引き倒しである可能性が高い。
あとはウジェーヌの結婚について。Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Deuxième"
http://books.google.co.jp/books?id=mT8YAQAAIAAJ"のp13以降に結婚の経緯が書かれている。ちなみに英語で読みたければEugène de Beauharnais: The Adopted Son of Napoleon"
https://archive.org/details/eugnedebeauharn00montgoog"のp143以降に結構詳しく紹介されている。
ウジェーヌの結婚相手となったアウグスタ=アメリアには、従兄弟のバーデン公カールという婚約者がいた(p14)。だがナポレオンの力で選帝侯から国王になるチャンスを得た彼女の父親は、1805年のクリスマスに娘に対して「ウジェーヌと結婚するように」との手紙を出した(p15-16)。アウグスタは異論を唱えることなく素直に従ったという(p16-17)。見方によれば王冠のために娘を売ったようなものだが、この時代には別に珍しい話でもないだろう。
ウジェーヌの方も義父の命令に逆らうつもりは全くなかったようだ。大晦日の日付でナポレオンがイタリアにいたウジェーヌに出した手紙(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Onzième. p520)には「お前の結婚を決めて結婚予約を公表した」と一方的な通告が書かれており、さらに1月3日付の手紙(p521)で「手紙を受け取ったら12時間以内にミュンヒェンへ来い」と指示。ウジェーヌからは6日付で命令通り12時間で出発するとの返答が出された(Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Deuxième, p19)。もちろんこの2人はそれまで顔を合わせたことすらなく、これ以上ないほど完璧な政略結婚だったようだ。
ただウジェーヌの伝記作家によればこの出会いは「一目ぼれ」(Eugène de Beauharnais: The Adopted Son of Napoleon, p149)だったそうだ。そういう出会いもあるってことだろう。
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