ガットかグロスマンか

 アザー・ガットの本を紹介した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53357016.html"時に述べたが、人間の本性は「ルソーの思い描いたようなものではなく、ホッブズの記す『万人の万人に対する闘争』に近かった」らしい。狩猟採集時代は文明化された後の社会よりも野蛮で、暴力が当たり前のように存在し、成年男子の暴力による死亡率は高い場合で25%に達する。ある意味、殺し合いは人間の本能に近いものと言えるかもしれない。
 一方、グロスマンの本"http://www.amazon.co.jp/dp/4480088598"では、実際の戦場では引き金を引くことに対する心理的抵抗が幅広い兵士において観測されたことが指摘されている。つまり殺し合いではなく、むしろ同種の生き物を殺すことを忌避する傾向こそが人間の本性だったという説だ。これはガットの説と矛盾しているのではないだろか。おかしいと思いませんか、あなた。
 
 説明をつける方法はいくつかある。その1、グロスマンが間違っている説。彼の議論、つまり戦争では実際に発砲できる兵は少ないと言う説は多くをマーシャルの著作Men against Fire"http://books.google.co.jp/books?id=azoGuGbwJK0C"に負っているのだが、このマーシャルの議論が間違っているのではないかという考えだ。代表例がこちら"http://books.google.co.jp/books?id=Ce_4JgXTviUC"であり、著者のEngenはグロスマンの考えも批判している"http://smallwarsjournal.com/blog/killing-for-their-country-a-new-look-at-%E2%80%9Ckillology%E2%80%9D"。
 一番問題となっているのは、マーシャルの研究方法だ。彼は第二次大戦で4人に1人の米兵しか発砲しなかったと主張したのだが、それを裏付ける統計的なデータは実はなかったという("http://strategicstudiesinstitute.army.mil/pubs/parameters/articles/03autumn/chambers.pdf" p113)。つまりこの数字は、彼が「問題を誇張」(p120)するために作り上げた可能性があるのだ。書籍だけでなくネット上にもマーシャルに対する批判サイト"http://warchronicle.com/us/combat_historians_wwii/marshallfire.htm"があるなど、彼の研究方法への批判は多い。
 一方でグロスマンによる反論"http://www.journal.forces.gc.ca/vo9/no4/18-grossman-eng.asp"もある。マーシャルの議論は米軍に妥当なものとして受け入れられ、軍はマーシャルの説に基づきオペラント条件付けを活用した訓練方法を採用した。その結果として朝鮮戦争、ベトナム戦争における米兵の発砲率は上昇した。マーシャル批判派は、第二次大戦の経験を積んだ人間が大勢いた米軍が、揃ってマーシャルに騙されたと考えているのか、という議論だ。
 マーシャルの議論と平仄の合っている説を他の様々な時代を研究した学者が唱えている点も、グロスマンは強調する。du Picq、Keegan、Richard Holmes、Paddy Griffith、英軍によるリエナクトメント、FBIの研究など、確かに研究は多岐にわたっている。グロスマン以外でも例えばDavid Livingstone SmithはThe Most Dangerous Animal"http://books.google.co.jp/books?id=FwBUuzr6QFAC"の中で第二次大戦中の米戦闘機パイロット、ゲティスバーグの戦いなどの事例を紹介し、マーシャルの議論に妥当性があると主張している。
 
 その2、ガットが間違っている説。昨年、サイエンス誌に掲載された研究"http://www.afpbb.com/articles/-/2956688"が一例となるが、そこでは「狩猟採集民では戦闘はまれ」という結論が出たらしい。彼らは「狩猟採集社会について現存する記録のうち最も古いものだけを採用し、21例を分析」した。すると「殺人の55%は、殺した側も殺された側も1人だった」ほか「85%の殺人で、殺人者と被害者は同じ集団の出身だった」ことが分かったという。
 研究者たちは結論として、人間はもともと殺人を避ける傾向を持っていたのであり、戦争はたかが1万年ほど前から行われるようになったに過ぎないとしている。実際、考古学的な証拠を見ると、1万年以上前になると戦争や殺人を示唆するものは少ないのだそうだ"https://www.sciencenews.org/article/war-arose-recently-anthropologists-contend"。「彼らは最近の科学で人気のある流れに逆らい、簡単に勝利した」という評価もある。
 もちろん批判もある。あまりに孤立しすぎている民族を対象に選んでいるので戦争が少ないのは当然だとか、そもそも人類の歴史では戦争より殺人による死者の方が多いのが当たり前である(除く20世紀の2つの大戦)とか、言語や慣習の共通するグループ間の紛争を主に取り上げているから戦争になりにくいのは当然だといったものだ。Wranghamが2012年にまとめた論文では、むしろ昔の人はチンパンジーのように群を組んでライバルグループのメンバーを殺害していたと主張している。
 スティーヴン・ピンカーやジャレド・ダイアモンドらの書いた本で有名になっている最近の説とは逆を行く主張だけに、この論文は注目を集めたようだ"http://www.independent.co.uk/news/science/is-it-natural-for-humans-to-make-war-new-study-of-tribal-societies-reveals-conflict-is-an-alien-concept-8718069.html"。ただしこれが通説となるかどうかは微妙。少なくともダイアモンドは多くの学者が自分の意見に賛同していると話している。
 
 その3、人間の本性が途中で変わった。生物の進化は割と短期間に起こり得るという考えを採用するのなら、この説も成立するだろう。一例が乳糖不耐症。本来なら成人すればラクターゼを合成できなくなっていたホモ・サピエンスの一部において数千年前に突然変異が起こり、成人してもミルクを分解できるようになった"http://www.biv-decodeme.jp/health/conditions-covered/lactose-intolerance.html"。酪農を行っている人間集団においてこの突然変異は適応的であり、そうした進化によって民族によっては乳糖不耐症が極めて少なくなった。
 進化が少ない世代数で生じうることは、ベリャーエフ"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95"によるギンギツネを使った実験からも推測できる。ほんの数十年でキツネの耳が垂れ、尻尾が巻き上がるようになったというのだから大したもんだ。人間もkiller instinctを短期間で捨ててしまい、結果として最近は殺すことのできない個体が増えてきたと考えるのは可能だろう。
 
 その4、訓練のおかげ。殺害を避ける本能があっても、米軍が実施しているオペラント条件付け訓練によって発砲率が高まるように、やり方次第で人殺しができるようにすることは可能。ヤノマミ族は交互に相手を殴りあうような風習を持っているそうで"http://cinechameau.cocolog-nifty.com/polkatei/2013/07/68-5c20.html"、狩猟採集民族はそうした訓練を通じて本能を押さえ込み、人殺しができるようにしていったのかもしれない。
 
 その5、本能なんてない。ホモ・サピエンスは状況に応じて必要なら人を殺すし不要なら殺さないだけのこと。資源が少なく、奪わなければ生きていけないのなら殺ることもいとわないが、戦争のように自分ではなく他人の都合で人殺しを求められた場合は必要性を感じないため引き金を引かない。人殺しの本能があるように見える時代は、たまたまそういう環境に置かれた人が多かったためで、環境が違えば行動も変わる。
 
 金持ち喧嘩せず。殺人を犯すのは下層階級の男(子供という資産を得るための競争が厳しい)が多く、女性(自分の腹を痛めて子供を生む)と上流の年配者(配偶者を得やすい)はそんなことをしない、という傾向を踏まえるなら、案外「その5」あたりが正解だったりして。
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