ウクライナのこうした過激な運動は、例えばアラブの春などとは(おなじ広場=マイダンが舞台になっているとはいえ)様相が異なるように思える。アラブの春についてはエマニュエル・トッドが移行期危機"
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20110925/p1"と述べたように、識字率上昇や出生率低下による社会的な変化を受け、それに対応できない古い世代と変化を受けた新しい世代の対立によって生じたものだとの分析がある。
実際、1960年代には特殊合計出生率が7を超えていたチュニジアは、2000年ごろ以降は2まで水準が低下。エジプトも足元では3を割り込み、リビアも2.5程度と、アラブの春で政権が交代した多くの国で出生率が大きく低下してきたことが窺える(Google Public Data Explorer"
https://www.google.co.jp/publicdata/directory"参照)。例外的なのはなお出生率が4を超えているイエメンくらいだが、ここもかつての9超よりは下がっていることは確かだ。
しかしウクライナの場合、この理屈は当てはまらない。そもそもウクライナの出生率は1960年代から2前後を推移し、ソ連崩壊後はさらに低下して一時は1.1まで下がっていたほどだ。こうした人口推移は途上国の移行期というよりむしろ成熟国に見られる傾向である。実際、ウクライナの出生率推移に日本のそれを重ねると非常に似た傾向を示しているし、韓国も80年代以降に限ればほぼ同じ状況。出生率が下がるような成熟国で起きた動乱という意味でトッドの議論を適用するのは難しい。
しかし経済面で見るとウクライナは日本や韓国といった先進国とはおよそ異なる。1人当たり実質GDPで見ると日本は3万ドルを超えているのに対しウクライナはまだ6000ドルにとどまっており、より途上国の色彩が強い。トッドのような文化的背景を重視する理論ではなく、経済的な要因に注目するのなら、エジプト(6000ドル弱)やチュニジア(8000ドル強)などアラブの春関連諸国の方がウクライナにより似ているという結論になるだろう。
トッドは全体として人類の発展に対して楽観的な人物である。識字率向上や出生率低下は最終的には西欧的な民主政治体制につながるという期待感を強く持っている。実際、アラブの春にはそういう色彩があったことは否定できないだろう。だがウクライナの場合はそうとは言えない。むしろ既存野党政治家と与党の間で合意した選挙前倒しという妥協案を、広場で活動する武装勢力が一方的に破棄し覆してしまった部分などは、とても民主的と言えない動きである。
もしかしたらウクライナ情勢は、出生率が度を越して(2未満まで)低下するような国々が進む道筋の1つを示してるのかもしれない。ユースバルジの理論に従うのなら出生率が低く若者が多くない国は政治的にはむしろ安定するはずだが、そうした国であっても例えば経済的な問題で若者が報われないと感じれば動乱は起こり得ることを証明している可能性がある。あるいはヤヌコーヴィチの極端な蓄財のように、貧富の格差があることが理由かもしれない。
だとすると話はウクライナだけでは済まなくなる。何しろウクライナにおける不満を抱えた若者中心に広がっている極端なナショナリズムは、ウクライナ特有の現象ではない。こちら"
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_active_nationalist_parties_in_Europe"では2010年頃から活動的なナショナリストたちが欧州各地で勃興しているという。そして東アジアでも最近はナショナリズムの動きが激しい。出生率低下が安定につながるというユースバルジ理論が果たして本当に正しいのか、今は問われている時期のように思える。
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