次にアンドレアスというファーストネームだが、確かにドイツ語wikipedia"http://de.wikipedia.org/wiki/Andreas_Prokop"にはアンドレアスという名前が載っている。だがソースは不明。19世紀の文献でアンドレアス・プロコピウスという人物は出てくるが("http://books.google.co.jp/books?id=MOE0AAAAMAAJ"のp938など)、どのような史料に基づいて書かれているかは分からない。 1905年のNew International Encyclopdiaにはアンドリュー・プロコピウス"http://en.wikisource.org/wiki/The_New_International_Encyclop%C3%A6dia/Procopius,_Andrew"の項目があり、こちらにはソースとしてCreightonのHistory of the Papacy"http://books.google.co.jp/books?id=Ws0sAAAAYAAJ"が示されているが、その本を見てもどこにもアンドリュー・プロコピウスとかアンドレアス・プロコピウスという名前は出てこない。あくまで出てくるのは大プロコピウス(p550)だ。 そしてアンドレアスのチェコ語表記であるアンドレイAndrejを使い、andrej prokopをgoogle booksで探しても関係ありそうなものは見つからない。史料からの引用が多いチェコ語wikipediaにも、アンドレイやらアンドレアスといった名前は存在しない。一体どういうことなのか。 Lützowによると、実はプラハの商人だった大プロコプの父親の名前がアンドレイだった(The Hussite Wars, p185)らしい。Alphons Neubauerが1910年に雑誌に掲載した調査がどうやら元ネタ。だとすると19世紀の文献に伝わっているアンドレアス・プロコピウスは、もしかしたらこの父親の名と本人とが混同されていたのかもしれない。いずれにせよ、アンドレアスが大プロコプのファーストネームだと裏付けるきちんとした史料がない限り、この名は使わない方が安全だ。
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