羅馬人ロルテス

 フス戦争のマンガが載っている雑誌のblog"http://webaction.jp/monthly_action_blog/"に、戦国時代を舞台にした新連載の話が載っていたのだが、そこに「実在するイタリア人戦国武将・ジョバンニ=ロルテスを描いた、騎士道と武士道が邂逅する歴史ロマン」と書かれている。戦国時代の日本に来たイタリア人が武将として活躍するとかそんな話なんだろうが、さてこのロルテスなる人物は何者だろうか。
 検索すると真っ先に見つかるのはロルテスの日本名とされる山科勝成のwikipedia"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%A7%91%E5%8B%9D%E6%88%90"。聖ヨハネ騎士団に所属し、宣教師オルガンティーノと共に来日して蒲生氏郷に召し抱えられたんだとか。項目があるってことは、少なくともwikipedia筆者は本当に「実在」した人物だと考えているってことだろう。
 
 だがこのwikipedia、「正確性に疑問」が付されている。加えて参考文献の中に文献でなく組織の名前(帝国大学史料編纂掛)が載っているなど、かなりダメな編集がなされていることも分かる。というか中身を読む限り、誰がこの項目を立てたのかは知らないがおそらくこちらの本"www.amazon.co.jp/dp/4419041102"のみをソースに書いたとしか思えない。
 まずそもそも参考文献に上がっている「外交志稿」について本文で「記されているとされ」と伝聞調で書かれている時点で、書き手が近代デジタルライブラリーすら調べていないことが分かる。同ライブラリーにある外交志稿"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991334"のp144を見れば「蒲生氏郷其臣山科勝成岩上某等十二名を遣て羅馬に聘す」という文章があるのだ。資料として紹介するのならこの文章を引用すればいい。
 もう一つの「御祐筆日記抄略」については東京大学史料編纂所の所蔵史料目録データベース"http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller"で検索すれば見つかるので、手続きをすれば閲覧もできるかもしれない。さすがにそこまでやる時間はないけど。だがそれを紹介した渡辺修二郎の「蒲生氏郷羅馬遣使説の出處」ならネットで見られる。google bookにある「異説日本史」"http://books.google.co.jp/books?id=f-Z1wcKlR6kC"のp368-376に採録されているのだ。wikipediaでは渡辺が「蒲生家(氏郷の子孫の家)から『御祐筆日記』を発見し、これが『外交志』などで材料となった『蒲生家記』の原書となるものである、と主張した」と記しており、あたかも彼が「蒲生氏郷ローマ遣使説」を支持しているかのように書いている。だが「蒲生氏郷羅馬遣使説の出處」を読めば、渡辺が「日記抄略一書のみの記載では、深く信拠するに足りぬ」(p375)と慎重な書き方をしていることも分かる。
 渡辺論文の中には日記の一部の引用しかないが、実際に日記を手に入れた人物が書いたものも見つかる。歴史学者である辻善之助の書いた「海外交通史話」("http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917899"及び"http://books.google.co.jp/books?id=OQahr4kihncC")がそうだ。p450-464にある「蒲生氏郷の羅馬遣使について」がそうであり、最初の方に辻がどうやって日記を入手したかの経緯が書いてある。結論から言うなら彼は日記の原書を手に入れた訳ではない。「その本は渡辺氏が写されたものであるが、奥付に明治三十七年七月とある」(p453)うえに、全3編あるうち第3編は写本には欠けているそうだ。全体の量は10行20字で120枚ある。
 辻論文の内容は日記の信頼性に対する批判だ。まずはロルテスの出自が「甚だ明かでない」こと。wikipediaでは聖ヨハネ騎士団に所属していたと書かれているが、辻の読んだ日記写本に書かれているのは「羅馬人」(p454)という記述くらいで、日本に来る前の経歴などはほとんどない。そもそも誰が蒲生氏郷に紹介したかすら分からないという。となると聖ヨハネ騎士団の人間であるとか、オルガンティーノとともに来日したとかいう話がどこから出てきたのかも疑問点としてわき上がってくる。あと、辻の論文にはロルテスという名前しか登場せず、「ジョバンニ」というファーストネームも見あたらない。
 辻の次の疑問は、蒲生家記とこの日記を比べた時にロルテス及びローマ遣使の記事が「他の記事の間へ突然と入って来て、前後のつづき甚不自然であり、斧鑿の跡歴然」(p460)としているところ。これについて渡辺は「故らに捏造して搬入したと覚しい痕跡は毫も見えない」(異説日本史、p375)と主張しているためこの点では両者の間に見解の相違がある。辻の疑問その3はロルテスが大砲まで使って大活躍したのに、他の文献にそうした記載がない点だ。またローマ派遣についても美濃の利井城を攻めた1週間後に出発している点や、7年間に4回も往復している点など、時間的なおかしさを指摘している。
 最後は用語の問題だ。戦国時代に貴族が出した文章の中に「遺族」とか「秀吉に味方し」という表現が混じっているところがおかしく、当時は貧乏だった朝廷から「黄金作の太刀」を下賜されるといった話も疑問点として挙げている。またロルテスを雇う際に「将軍家より咎」という表現が使われているところも怪しいそうだ。この時点(天正5年)で足利義昭はまだ征夷大将軍であったものの既に京都を追放されており、信長配下にあった蒲生家にとってはその「咎」など気にかける必要のない存在だった。なお渡辺も用語の件については「極めて稀に近世慣用の文字に類するものがあり」(異説日本史、p375)と疑問を呈している。
 結論として辻はこの日記について「蒲生家記などを本として、之に架空の『ロルテス』(略)なる者をつきまぜて作りあげたもの」(p463)だと見ている。要するに単なる偽書、それも成立年代がかなり新しいものであり、とても史料にはならないという判断だろう。渡辺はこの件については「氏郷が羅馬人を軍人として用いたことは或は事実であろう」(異説日本史、p375)と、実在を断定はしていないが可能性までは認めている。
 
 実際のところどうなのか。こちらのblog"http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20070120/1169304548"では日記に採用されている文章の表記について、「外国」「他国」「日本人」「小銃」「武器」などが気になるとしている。確かにいずれも昔から使われていたかどうか怪しい表記ばかりだ。辻の指摘も含め、全体として戦国時代の文章と見なすには違和感が強いことは否定できない。ロルテスの異様な活躍ぶり、当時日本では珍しかったはずの大砲使用など、他の文献にないのがおかしい挿話に満ちあふれている点からも、この「日記」が記録として当てにならない様子がうかがえる。
 前にも書いた通り、歴史関連の本を読む時は「もったいない」ではなく「いらない」と割り切る必要がある。実際、辻善之助は苦労して日記の写本を手に入れ、それを読んだうえで「長年の間、我々の気にかかって居た蒲生氏郷の羅馬遣使一件について、折角一道の光明を得たかと思う間に、また忽ち闇から闇に葬らねばならぬようになったのは、甚だ遺憾な次第である」(p464)と書いている。だが「遺憾」ではあっても彼はそれを葬ることに躊躇わなかった。「もったいない」ではなく「いらない」と考えたのである。正しい姿勢だろう。少なくとも新資料が出てこない限り、wikipediaでも取り上げるのは避けるべき人物だと思われる。語り得ないことには沈黙しなければならない。
 もちろんマンガは別。フィクションなんだから戦国時代に聖ヨハネ騎士が活躍しようと、あるいは逆に宗教戦争の中で戦国武将が暴れ回ったとしても、問題は皆無だ。まあマンガ雑誌のblogで「実在する」と言い切った点は微妙だが、宣伝用のblogに書かれていることなど適当に割り引いて読むのがネット時代のリテラシーってもんだろう。
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