フス派ほどではないが古い「ラーガー+火器」の事例は中国にもある。明史の巻92、志第68、兵4"
http://www.angelibrary.com/oldies/ms/092.htm"に載っている正統14年(1449年)、土木の変の年に李侃が行った取り組みがこの戦術のきっかけになった。彼は車両を「鐵索聯絡」して敵を撃退したのだが、その時点では火器を使ったとの記述はない。しかし翌景泰元年(1450年)には銃を置いた車両を「鉤環牽互」し、槍砲や大小將軍銃を積んだとあるので、この時期までに「ラーガー+火器」という戦術が考案されていたのは事実だろう。
こちら"
http://koukisya.web.fc2.com/kayaku4.htm"によると、この戦術は後に明の名将、戚継光らによって改良され「車営戦術」として確立していったんだそうだ。フス派より遅れていることは確かだが、それでもかなり近い時期に大陸の反対側でもこの戦術が生まれたのは興味深い。フス派の戦いに関する情報が明にも伝わっていたのか、それとも必要に迫られて独自に思いついたのか、分かったなら知りたいところだ。
ただしKenneth ChaseのFirearms"
http://www.amazon.com/dp/0521722403/"によればオスマン軍はそれより早い1440年代にハンガリーからラーガー戦術を学び済みだったとか(p86)。そしてそのオスマンからムガールのバーブルが学び、またサファヴィー朝もチャルディラーンの敗北を通じて戦術を自分のものにした。中国はともかく、イスラム世界へのラーガー戦術伝播は元を辿ればフス派が淵源だったと見ていいだろう。
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