Firearms

 前"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54315361.html"に少し紹介したKenneth ChaseのFirearms"http://books.google.co.jp/books?id=esnWJkYRCJ4C"だが、概要でなく細かい部分についても少し書いておこう。それなりに面白いので。
 Chaseが主に議論の対象としているのは彼がOikoumene(エクメーネ)と呼ぶ地域だ。一般的には人が居住している地域を意味する用語だが、Chaseはこれを自ら火器を開発製造できる能力を持った地域という意味で使っている。その地域は大きく欧州、中東、インド、東アジアに分割できるのだが、Chaseが重視しているのはその気象を含めた環境だ。逆にOikoumene以外の地域であるアメリカやオセアニアはほとんど議論の対象になっていないし、東南アジアなども言及する割合は少ない。
 Oikoumeneの中ではArid Zone(乾燥地帯)が重要だ。モンゴルから西のウクライナへ、そこから南東の北インドへ、さらにまた西へ向かってサハラ砂漠へ至る「逆Z字型の地域」は、北方は草原、南方は砂漠によって特徴付けられる地域であり、何よりも大勢の人を抱えておくだけのロジスティクス的な能力を持たない地域である。ここで暮らし、活動できるのは、成人男性全員が弓を使った軽騎兵でもあるnomad(遊牧民)のみ。逆にこの地域での活動が極めて困難なのが、移動力に乏しく多くの補給を必要とする歩兵である。
 Chaseの結論はシンプルである。乾燥地帯の騎馬民族との関係で火器の発達に差が出た。騎馬民族の脅威が大きいInner Zone(内部地帯)では騎兵への対処こそが重要となり、使い勝手の悪かった初期の火縄を使った不恰好な火器は発展しなかった。一方、騎馬民族から離れていたOuter Zone(外部地帯)では歩兵や城塞を巡る争いこそが中心となり、火縄銃であっても十分に効果が得られた。
 最初の火器の存在が分かっている1288年の時点で騎馬民族に支配されていた地域、例えばモンゴルが支配していた乾燥地帯と朝鮮、満州、中国、トランスオクシアナ(中央アジア)、イラン、イラク、アナトリア、ロシア、そしてトルコ系のスルタンが支配していた(北)インド、エジプト、シリアなどはInner Zoneとなった。この時点では支配下になかったが、その後で攻め込まれた南インド、マグレブ、バルカンなどもInner Zoneに組み込まれた。一方、彼らの支配を受けなかった地域、即ち西欧と日本はOuter Zoneにとどまった。
 Chaseは修正主義的な考えとは異なり、西欧が早い段階から火器については技術的に先行していたと指摘している。といってもそれは単なる製造技術を意味しているのではない。Inner Zoneの国々も技術的に優れた火器は早い段階から導入している(ポルトガルの武器や技術を導入した明朝が一例)。西欧が彼らと異なっていたのは「訓練と技術」(p200)である。加えて恒常的な火器の使用を強いた継続的戦争により、1700年以降は武器の分野でも明確に西欧が他地域に先行しはじめた。燧石式の銃及び銃剣、ライフルなどが西欧で編み出された技術だ。
 つまりChaseは誰が見ても明白に西欧が優位に立った産業革命の時期ではなく、それより100年ほど前の時期から軍事技術的に西欧の優位が明らかになっていたと考えているのだ。確かにそう見た方がインドにおける西欧人の支配力強化や、ナポレオンのエジプト遠征における一方的結果を説明しやすいのは確か。1500年ごろから見られた武器の優位も含め、西欧とそれ以外の地域の差が少しずつ開いていったことを示す1つの事例かもしれない。
 
 ChaseはInner ZoneとOuter Zoneの違いを示すわかりやすい事例として荷車(Wagons)と槍(Pikes)についても言及している。Inner Zoneの国家は火器と並んで荷車を使うことが多かった。銃手を守るための手段を必要とした彼らは、荷車をつなぎ、持ち運んでいた木製の板などを使って簡易式の砦を築き、その影から銃を放ったという。こうした戦い方はどうやらフス戦争だけでなく、オスマン帝国やムガール帝国、明朝でも普通に存在したようだ。一方、Pikeと呼ばれる長い槍が発達したのは西欧と日本くらいしかなかった。
 なぜか。乾燥地帯に接するInner Zoneでは荷車は戦術的な柔軟性を犠牲にする代わりに戦略的な自由性を増したからだ。兵站力のない地域では食い物を必要とする槍兵ではなく、物を運ぶのにも活用できる荷車で身を守る方が便利。少ない兵力で効果的に火器を使う手段が荷車だったのだ。一方、人口が密集し食糧も入手しやすいOuter Zoneでは、戦術的な柔軟性の高い槍兵の方が荷車より有利である。荷車で周りを囲んでしまうと移動は困難になるが、槍ぶすまを作った兵なら例えば攻撃のための前進だってできる。
 一方、家畜に火器を載せるという方向での発展には限界があった。騎馬の場合は西欧で歯車式の銃が発明されたものの、使い勝手は悪かったしコストも高かった。それよりは普及したのはラクダやゾウに搭載したZamburak"http://en.wikipedia.org/wiki/Zamburak"と呼ばれる旋回式の家畜搭載銃。ただしこれも正確性や射程は劣っていたようで、騎兵の有利な環境下における火器の使い方の難しさを示している。基本的に歩兵が使う武器である火器は、やはり歩兵が中心の戦場でこそ効果があったし、そういう地域で発展しやすかったのだろう。
 それにしても、荷車と火器を組み合わせたヴァーゲンブルク(最近の英語ではラーガーLaagerというボーア人由来の言い回しが一般的なようだ)が世界中でこれだけ幅広く使われていたのには驚いた。フス戦争"http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131"での使用は有名だが、例えばこちら"http://myweb.tiscali.co.uk/matthaywood/main/Warwagons.htm"で「なぜ戦争用荷車の使用は東欧に限られていたのか」と書かれているように、火器と荷車の組み合わせを使った地域は限定されているものと思っていたからだ。
 だが実際は違った。例えばチャルディラーンの戦いにおいてオスマン軍はaraba"http://tr.wikipedia.org/wiki/Araba"と呼ばれる車両を鎖でつないで砦とし、その背後からの射撃でサファヴィー朝の騎兵突撃を撃退した。こちら"http://books.google.co.jp/books?id=NBBMJJTEoKMC"によると1516年にダマスカスの歴史家がイェニチェリの軍勢が防御に活用している車両を見て「かつてこのようなものは見たことがない」(p127)と言ったんだそうだ。
 オスマン軍の戦闘技術を導入したと見られるムガール帝国でもラーガーの使用はあった。第1次パーニーパットの戦いについて記したバブールの日記によると「700両の車両が持ち込まれた」("https://archive.org/details/baburnamainengli02babuuoft" p468)そうで、それらは「オスマン風に」つながれ、その背後に火縄銃兵が配置されたという。また別の戦いでも車両を鎖でつないだという表現が出てくる(p550)。両国の間に挟まれ、オスマンのラーガー相手には敗北していたサファヴィー朝も、ウズベク族を相手にした時はオスマンと同じやり方で勝利している。このラーガー戦術の広がりについてはもっと知りたいところだ。
 
 もう1つ、Chaseは日本の戦国時代についてもよく調べている。何しろ当時の火器の普及を示すために取り上げている事例の1つが、尾張国内における織田一族間の内紛である浮野の戦い"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E9%87%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"なのだ。正直、私もこんな戦いは知らなかった。加えてそこで参考文献に挙げているのがOta Gyuichi(太田牛一)のShincho Koki(信長公記)である。素直に感心するしかない。
 秀吉の朝鮮遠征についても外国人らしい視点で分析している。歩兵中心の戦いを繰り返してきた中でマスケット(と書いているが要するに火縄銃)の使い方に長けていた日本軍は、火縄銃を使った戦いでは優位に立った。一方、明や朝鮮はむしろ大砲中心に戦闘を行い、それが海戦ではプラスに作用したが、歩兵中心の陸戦ではどちらかというとマイナスに働いた。だが明はこの戦争を機に銃の使い方を見直した様子はない。結局、この後の戦争はまたも銃の効果が乏しい遊牧民相手になってしまったからだ。もし日本が絶えず大陸と戦争を繰り返していたならば、明や朝鮮でももっと火器の発展が進んでいたかもしれない。
 しかし何よりChaseがよく調べていると思うのは、ペリンの本"http://www.amazon.co.jp/dp/4122018005"に対して厳しい批判を浴びせている部分だろう。彼は日本人やそれ以外の研究者によるペリンの本への批判を紹介したうえで「不幸なことにペリンの本は、ペリン同様に日本語が読めず日本の歴史に詳しくない歴史家たちによって、あまりにしばしば引用されている」(p253)と指摘している。歴史について言及するうえできちんと史料に当たるという作業の重要性を、改めて思い知らされる。
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コメント

No title

desaixjp
返事が遅れてすみません。
楯を連ねる戦い方は、前にもどこかで書いた気がしますが、1066年のへースティングスの戦いが有名ですね。あとバーナード・コーンウェルが書いていたアーサー王小説でもそうした場面がちょこちょこ出ていたと思います。
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