参謀―近代化―

 以前こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53236997.html"やこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53241661.html"で参謀の歴史について少し言及した。参謀業務自体は常備軍が整い始めたころから存在しているが、18世紀以前の歴史についてはあまり語られないというのがその結論だった。
 古い時期の参謀についての記述が少ないのは、そもそも彼らの活動がad hocであったことが影響している可能性もある。Christopher DuffyのMilitary Experience in the Age of Reason"http://books.google.co.jp/books?id=erxDRwHZ8hsC"では、初期の頃の参謀は純粋に経験のみによって訓練され、なおかつその業務も「正規の基盤」にのっとっていなかったという(p133)。有能な参謀がいれば組織を動かす機能は果たしてくれたものの、そうした参謀がいるかどうかは運次第というのが「オールド・タイム」の実情だったようだ。
 より恒常的規則的な参謀組織の編成に最初に乗り出したのはフランスでもプロイセンでもなくオーストリアであった、というのがDuffyの説明。1758年2月にフランツ=モーリッツ・ラシーが組織を立ち上げたのが、近代的参謀の始まりである。それに比べればフリードリヒ大王のプロイセンは動きが鈍く、国王は全てを自分でコントロールすることにこだわり参謀組織づくりにはあまり関心を持たなかったようだ。
 ハノーファーで戦っていたブラウンシュヴァイク公も、七年戦争では民間人である個人秘書に参謀業務を委ねていた。彼の部下の1人であったバウアーは1769年にロシアに渡り、参謀業務の移植に力を尽くしたそうだが、対トルコ戦争が終わった後になるとエカテリーナは参謀組織の定着より若い貴族たちで構成される副官たちの社交の方に関心を移してしまった。結局、フランス革命戦争からナポレオン戦争期になってもロシアはオーストリアの参謀組織に依存する羽目に陥る。
 フランスでも18世紀の半ばにかけてアマチュアな貴族たちに占められていた副官業務をプロフェッショナル化する動きが強まる。ブールセが参謀用の学校を開設したのは1764年と、ラシーからそれほど遅くない時期だった。しかしこれに反対する動きも強く、1776年には陸軍大臣によって参謀づくりの動きは廃止される。フランス軍にようやく参謀が設立されるのは1783年と革命の直前だった。
 以上がDuffyの示した概要である。参謀業務がより組織化され「近代的参謀」になるには色々と障害があったようで、フランス革命の時点でも欧州列強の全てが近代的参謀組織を備えていた訳ではなかった。その中でも最も早く近代的参謀組織を取り入れたオーストリア軍については、もっと関心を集め分析される必要があるように思われる。残念ながら革命戦争期のオーストリア軍参謀は、マック、ツァッハ、ヴァイローターなど、悪い意味で有名人ばかりになってしまっているんだけれども。
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