内需と自由

 まとまりなく考えていることを。

 こちら"http://totb.hatenablog.com/entry/2013/08/27/185540"の書評で取り上げられているエマニュエル・トッドの「最後の転落」の中に「自国の労働者階級を豊かにすることが得策であるという考えを西側ブルジョワジーが受け入れた」という文章がある。これはどうやらトッドの持論のようで、こちらのblog"http://dream4ever.livedoor.biz/archives/52258948.html"によれば、トッドは「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」の中で、自由貿易が行き過ぎると「企業が支払う賃金は、国内需要を生み出すものだという意識が希薄になってくる」とも考えているそうだ。
 労働者への利益分配は結局内需の拡大という形でブルジョワジーにも利益として戻ってくる。「情けは人のためならず」と同様、「賃上げは従業員のためならず」"http://totb.hatenablog.com/entry/2013/05/29/185140"、資本家自身のためでもある、という理屈だろう。一理あるし、だからこそ政府も企業に対して賃上げを求めている。ただし、そもそも人口が減っている国で多少賃上げすることにどれだけの効果があるかというと微妙だ。企業へ要請する一方で政府がきちんとした少子化対策を取らなければ、対症療法以上の意味はないと思われる。
 トッドの考えはおそらく自由貿易が賃上げを妨げているというものなんだろう。世界的な競争に晒される企業にとって労働者への給与はコストでしかなく、それを下げることで競争に生き残ろうとする。だがそれは回り巡って自国の内需を押し下げることにつながり、企業の足を引っ張る。だから保護主義を導入してでも労働者への利益分配を継続し内需を支えるべきだ、といった考えなんじゃなかろうか。ただこれは安い労賃を生かして輸出を増やし経済成長へのテイクオフを図ろうとする新興国からチャンスを奪うことにつながりそうである。
 
 実際には日本では労賃が下がったのは国際競争に直接晒されている製造業ではなく非製造業だ。こちらのリポート"http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/12j031.pdf"によれば製造業は1998年まで賃金が上昇し、その後は大きな変化は生じなかったのに対し、サービス産業は一貫して賃金が下がり、しかも下落率は時とともに拡大したという(p14)。だから国際競争と賃下げは関係しない、という考えもあるようだ。
 一方こちら"http://sakedrink.info/282/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AF%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%91%E3%81%A9%E3%80%81%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%8C%E5%B9%B3/"では、製造業が賃下げしなかったのは労働者の数そのものを減らしたからであり、代わりに製造業から弾き出された労働者の受け皿となった非製造業で賃下げが起きたのだとしている。自由貿易に由来する国際競争が、製造業ではなく非製造業を通じて賃下げへ、ひいては内需の減衰へとつながっていったという説明だ。
 実際、製造業の就業者は51年前の水準まで減少しており"http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0100L_R00C13A2MM0000/"、ピークの1600万人強から1000万人割れまで落ち込んだ。これだけ減らしてなお賃金が1998年以降横ばいってことは、製造業の労働者全体が得た賃金合計はおそらく減少していると思われる。一方、第三次産業の就業者数はなお増加中"http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html"。だがこちらは賃下げによって数の増加が打ち消されており、結果として民間最終消費支出の額は90年代の後半からほぼ横ばいが続いているという。
 需要が増えなければ販売量も増えない。サービス産業は基本的に内需産業、それも主に人間を相手にした商売だから、個人消費が増えない状況で労働者が増えればそりゃ労働市場は買い手市場になる。人口が増え続けていればそうならなかったかもしれないが、過去の政策の失敗及びトッドによれば先進国にとって避けられない現象(出生率の減少)がある以上、この結果は当然だったんだろう。
 あるいは自由貿易を避けて製造業が国際競争に晒されなければ、製造業から放り出された労働者が非製造業に流れ込むこともなかったのかもしれない。だが他国が自由貿易に進む中で、特に多大な貿易黒字を計上してそこから利益を得ていた日本の製造業が、果たして自由貿易を拒絶することができただろうか。自由貿易をしないということは、自分たちの輸出も自由に行えない可能性を認めることだ。リーマン・ショック以降の貿易赤字が常態となった今の日本はともかく、黒字が当然だった過去の日本にとって自由貿易を拒否することがメリットになったかというと難しい。だとすると、労働者の賃金が下がるのは日本にとって避け得ない運命だった、ということになってしまうのだろうか。
 
 blog全盛期以後、アルファブロガーと呼ばれる人がやたらとたくさんのPVを集めるようになった。今でもその傾向は変わりない。あるいはニコニコ動画のように、ごく一部の動画が多数の再生を記録する一方で、大半の動画はほとんど見られることもなく埋もれていく現象もある。自由競争が行われるネットの世界を見ても、そこで起きるのはwinner take allであることはおそらく間違いない。ごく一部の勝者が総取りし、圧倒的多数の敗者は分配に与れないのが自由競争から生まれる結果だろう。
 経済でもおそらくそう。自由競争でやれば一握りの大金持ちと圧倒的多数の貧乏人が生まれる。アメリカのように。トリクルダウンで全体の利益は増えるという意見もあるだろうが、残念ながら人間は隣の芝生を見ながら嫉妬する生き物である。自分の利益が少しばかり増えたとしても、隣人が蔵を立てているのを見れば腹が立つ。その格差が大きいと社会不安にまでつながる可能性がある。
 以前にこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53974795.html"でも紹介したように、一部の人間が体制から得られる利益の大半を独占するようになると、残りの人間たちはその体制維持への関心を失ってしまう。板垣退助の言葉をなぞるなら「畢竟上下離隔し、資本家の階級が其楽を独占して、平素に在て労働者と之を分たざりし結果」として、体制そのものが揺らぐリスクが高まる訳だ。若者の少ない今の日本で革命騒ぎが起きる可能性は低いと思うが、それにしても舵取りが難しい時代ではある。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック