wikipedia アウステルリッツ

 前にワーテルローの戦いに関するwikipediaの内容が凄いことになっていると書いたことがある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53649384.html"。で、気づいたら同じようにアウステルリッツの戦い"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"もやたらと記述が長くなってしまっている。長すぎて読むのに苦労するような辞書は却って役に立たないような気がするんだが、一般的なユーザーはどう思うんだろうか。
 内容的にも相変わらず首を傾げたくなる部分がいくつか。「代わってカール・マック将軍が新たな総司令官となった」とか「マック元帥」という表現があるんだが、1805年10月に出版された新聞"http://books.google.co.jp/books?id=ACZEAAAAcAAJ"に載っている彼の役職はGeneral-Quartiermeister(参謀長)であり、階級はFeldmarschall-Lieutenant(中将)だ(p1009)。
 また「ミハイル・クトゥーゾフ元帥」ともあるんだが、アウステルリッツ戦役に参加したシュトゥッテルハイムはクトゥーゾフの階級をMarschallではなくGeneralと記している("http://books.google.co.jp/books?id=wFQUAAAAYAAJ" p7)。Alexandre MikaberidzeのRussian Officer Corps of the Revolutionary and Napoleonic Wars"http://books.google.co.jp/books?id=j2BwBPz4QFQC"によればクトゥーゾフの歩兵大将(General of Infantry)任命は1798年1月15日、元帥任命は1812年9月11日となっており、1805年時点で元帥でなかったのは確かだ(p215-216)。
 他にもアウステルリッツの戦場を「ブリュン(ブルノ)から南西 9.7 kmの地点」(本当は南東)と書いてしまうなど、ワーテルローの戦い同様こちらのwikipediaもツッコミどころには事欠かない。しかしそれより問題なのは実は参考文献だ。なぜか「ベトナム語」の文献が堂々と紹介されている。戦争当事者の言語であるフランス語やドイツ語、ロシア語ではない。言語使用者が多い英語でもない。もちろん日本語でもない。かつてフランス植民地であった、という以外にナポレオンとの接点がなさそうなベトナム語である。
 なぜか。もしやと思ってベトナム語のwikipedia"http://vi.wikipedia.org/wiki/Tr%E1%BA%ADn_Austerlitz"を見るとビンゴ、いやビンゴどころか予想以上だった。何この異様に長いエントリー。日本語wikipediaもいい加減長すぎると思ったがその比ではない。何しろ更新履歴に載っているバイト数を見るとベトナム語wikipediaは13万5000バイト以上。日本語wikipediaの8万バイト弱を大幅に上回っている。いや日本語の分量だってフランス語(5万4000バイト弱)よりかなり多いんだが、ベトナム語に比べると足元にすら及ばない。
 正直、ベトナム語が読めるわけではないのでその正確さについては評価できない。ただこのベトナム語wikipediaの参考文献が英語ばかり、それもナポレオン研究が充実していた19世紀でなく20世紀以降の文献が多いという時点で、内容は推して知るべしだろう。おそらく読むだけ時間の無駄だ。
 
 wikipediaのようなボランティアで書かれる文章は、当然のことながら書き手が自己満足で書くものとなる。何の見返りもないんだから、そうならざるを得ない。従って読み手のニーズに合わせた文章が提供される確率はきわめて低く、読者にとっては使い勝手の悪い文章にぶち当たる可能性が高い。アウステルリッツの戦いに関する一連のwikipediaもその典型例だろう。極めて重要な史料である筈のLa Campagne de 1805 en Allemagneは、日本語でもベトナム語でも参考文献に挙げられてすらいない。wikipediaに当たっても読み手はこの文献にたどり着けないのだ。辞書としての価値は低いと考えていいだろう。
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