こちらのblog"
http://shiomilp.tumblr.com/post/44933056650"ではVocaloidを巡る国内の動向について「ボーカロイドの文化」と「ボカロの文化」という、異なる文化があるのではないかと指摘している。「n次創作(中略)が行われている」のが本来のボーカロイドの文化であるのに対し、ボカロの文化は「単純にかわいいキャラクター、無料の音楽として初音ミクを消費するだけ」。後者は若い子などを中心とした消費形態であり、最近はこちらの方が目立っている印象はある。
クリプトンなどが称揚するCGMでUGCな世界は、もちろん前者である。Vocaloidというツールを使い、消費者が自ら生産者に(つまりprosumerに)なって創作物を世に送り出す。その創作物が他の消費者の創作意欲を刺激し、さらなるprosumerが登場する。自律的に増殖するprosumerの世界がネットワークを築き上げる状況は、まさにトフラーの描き出した情報化社会の理想像と言えよう。でも、それが成立しているのは、現実にはそれほど広い世界ではない。
ボカロの主力消費者である10代女子の中に創作活動に従事している人がいないというわけではない。問題は、上記のblogでも指摘されているように、n次創作といった概念と無関係にボカロを消費している層が存在している点にある。彼女らにとってボカロ曲は他の商業音楽と同じレイヤーに存在するものに過ぎず、たまたま他の曲よりそちらが(無料である点なども含め)気に入っただけ。おそらくそういう消費者がいるのは間違いないだろう。最近のように商業ベースでの連携が増え、商業に結びつける形での露出が増えれば、純粋消費者と言うべきファン層がさらに増えることが考えられる。
そして、上記blogの書き手は「海外での初音ミクのウケ方も『ボカロ』的である」点に懸念を示している。おそらくこの指摘は正しいだろう。もちろん海外にもCircusP"
http://www.mikubook.com/interview/07?lang=jp"やEmpathP"
http://www.mikubook.com/interview/08?lang=ja"のように自ら創作に取り組む人はいるし、英語版ミク動画のアップ動向を見ても一定数の生産者がいることは間違いない。だがこの生産物についてはまだ十分な「消費者」がついていない。英語版ミク発売後のYoutubeでの再生数を見ると上位はほとんど公式デモソングであり、それもようやく万単位に載せている程度の数字に過ぎない。後からアップされた日本語V3のデモソング"
https://www.youtube.com/watch?v=UF1Zr3S7bFQ"と比べても再生数の伸びは鈍い。ニコ動の数字はさらに悲惨で、大半が3桁の再生にとどまる。
象徴的なのは、比較的再生数の多いこちらの曲"
https://www.youtube.com/watch?v=iIZyEpq4qQo"につけられたコメントだろう。曰く「訛りはミクっぽさを感じるだけ十分強く、でも英語に聞こえないほど強くはない」。この消費者にとってミクは日本の曲であり、日本らしさがある程度存在することが評価の対象になっているのだ。自分たちが決して創作者にはなり得ない「外国の曲」としてミクを消費している様子が窺える。まさに「ボカロ文化」だ。
果たして「ボカロ文化」ではない「ボーカロイド文化」はきちんと海外にも広められるのだろうか。外国のPが作ったオリジナル曲に外国の絵師がイラストをつけ、外国のMMDerが動画を作り、外国人が歌って踊って演奏し、パロディが作られ、比較してみた動画がアップされ、最終的にオリジナル曲が商業的に売り出されるまでに至るような一連の流れが、日本を一切経由することなく再現され得るのか。それを判断するにはもっと時間が必要なんだろう。
ただ、英語版ミク発売をもってしてもgoogle trendsでのhatsune miku検索結果"
http://www.google.com/trends/explore?q=hatsune+miku#q=hatsune%20miku&cmpt=q"が2011年7月のピーク(Mikunopolis公演時)を超えられるかどうか微妙な水準で推移しているのを見る限り、そうした現象が今すぐ生じる可能性は低そうに思える。そもそも英語を使えるボーカロイドは以前から多数あったわけだし、今回はそれに新たな商品が加わっただけだとも言える。消費対象である商品を提供するだけでなく、n次創作という文化そのものを海外に持ち込むことができるのか、これは結構難問かもしれない。
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