R抜き地名の大半がロシア軍報告書に由来しており、そして地元であるドイツ語文献が(ロシア軍報告書を紹介したものを除いて)R入り地名を採用している点を踏まえるのなら、本来の地名は現在と同じR入りであり、R抜きはたまたまロシア軍がその記述を使ったために戦闘後に広まった表記ではないかとの推測ができる。ところが現実はそう簡単にはいかない。
1805年より前の文献を探しても、R入りとR抜きの両方の記述がいくつも見つかるのだ。中には1769年出版のTopographie von Niederösterreich"
http://books.google.co.jp/books?id=e8AAAAAAcAAJ"のように、同じ本の中にR入り(p246)、R抜き(p221)の両方が採用されているものがあったりするくらいだ。実に困った。
あくまでR入りが本来の記述であり、R抜きは間違ったものと考えたいところだが、実際には1777年出版のSupplementum Codicis Austriaci"
http://books.google.co.jp/books?id=QvVFAAAAcAAJ"のように、近所の他の地名(ホラブリュン、シュトッケラウ、イェッツェルドルフなど)と並べて何度もR抜きの地名を紹介している本もある(p1108)。ここまで確信を持ってR抜き表記をしている点は、どう評価すべきだろうか。
以前、現在はトイグン(Teugn)と呼ばれている地名について書いたことがある"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/41284762.html"。その際には、今でこそトイグンという表記が正解になっているが、昔の文献ではトイゲン(Teugen)としていたものも結構あったという事実を指摘した。実際、日本もそうだが欧州でも時間とともに地名が変わることは珍しくない。まして200年前のように識字率が低かった時代となれば、地名の表記はそもそも曖昧かついい加減だった可能性は高い。
上に紹介した動画を聞いても、R入り地名であっても発音は「シェングラーベン」に近いことが分かるだろう。まして200年以上前、ろくに文字も書けない村人ばかりがいた時代であれば、ロシア軍が地名を確認するために耳で聞いてそれをそのまま文字に起こした可能性は否定できない。いやもしかしたら同じドイツ人であっても、発音通りにR抜き地名を採用して全く疑わなかった人もいるかもしれない。要するに地名の細かい違いを追及しても、あまり意味はないのだろう。
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