今更だがジョーンズの「ヨーロッパの奇跡」"
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0389-7.html"読了。なぜ世界の他の地域ではなく欧州が経済成長を成し遂げたのかについて、主に1400~1800年の時期に焦点を当てて分析したものだ。どちらかというと古典に相当する書物。最近翻訳されて話題になったこちらの本"
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112578.html"とか、あるいは有名な「銃・病原菌・鉄」"
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1005.html"などとの関連で取り上げられることのある本だ。
「銃・病原菌・鉄」がより環境重視、「国家はなぜ衰退するのか」がより制度重視と言われているのに対し、「ヨーロッパの奇跡」はその中間あたりを逍遥している感じだ。環境的な要件が欧州にとって有利に働いたとしている一方、その優位さを経済成長に結びつけるうえで制度が余計なことをしなかった点も重視している。個人的には超長期を見ると環境の影響が、短期では制度などの影響が大きく出るといった傾向があるんじゃなかろうかと思うが、まあ全体としては複数の要因が絡み合っているんだろう。
ジョーンズの議論は最終章「要約と比較」でシンプルにまとめられている。比較対象は主にアジア。欧州はアジアと異なり「中核地域」が分散して自然的な境界線があったため諸国家併存体制が確立し、国家間の競争が維持されて成長につながった。自然災害の頻度が少ないことは資本蓄積に役立った。資源が分散していたために交易が増え、入り組んだ地形も水運増大につながった。中央アジアからの距離のおかげで騎馬民族の破壊を免れた。大西洋岸の植民地発見が成長の潜在力を高めた。
そうした自然条件の下で育ってきた制度の違いも、経済成長に影響した。アジアに存在したオスマン、ムガール、明清帝国といった政治体制はひたすら租税を吸い上げるだけで資本蓄積を支援するような行動は取らなかったが、欧州は近隣ライバルと競争する力をつけるため住民の経済力向上を応援するしかなかった。専制君主の気まぐれは経済活動に欠かせない予測可能性を失わせたが、欧州ではそうした気まぐれを働かせる余地があまりなかった。「国家はなぜ衰退するのか」で使われている用語を借用するなら、inclusiveな欧州とextractiveなアジアってことになるんだろう。
こちら"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53974795.html"で紹介している板垣退助の言葉を使うと、inclusiveな国家は「上下一和、衆庶と苦楽を同うする」国家であり、extractiveな国家は「上下離隔し、士族の階級が其楽を独占して、平素に在て人民と之を分たざりし」国家であろう。軍人板垣はあくまで軍隊の強さを把握するうえでこの概念を持ち出しているが、ジョーンズなどの議論を持ち込むならこれは経済的な強さにもつながる発想なのかもしれない。inclusiveな国家にしたら国は富むは軍は強くなるわもうウハウハですわ、といった感じだろうか。
個人的には、環境が進むべき道の外枠を決め、その枠の中で制度や為政者の選択が行われると認識している。もちろんその枠はそれなりに広く、例えばアジアで欧州より先に経済成長が達成されるという選択肢だって枠の中にあり得ただろう。というか北宋の経済的繁栄がもしそのまま続けば、欧州ではなく中国で産業革命が始まっていたかもしれない。中国の皇帝たちが本気で資本蓄積を支援していれば、諸国家に分裂していた欧州より先に中国が経済的「離陸」を達成していても不思議はないだろう。
ウィリアム・マクニールの「戦争の世界史」では、それを妨げたのは中国の士大夫階級が民間企業家に抱いた警戒感だったとしている("
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120322/1332430130"参照)。一方、欧州は近隣国に対抗するため、企業家の資本蓄積を許さざるを得なかった。専制的な帝国を作りやすい中国と、それが難しい欧州という条件が、経済成長に影を落としたのだ。帝国の作りやすさが環境に影響されるものだとしたら、やはり環境が進む道に大きな枠を嵌めていることは否定でいない。
と言っても、この大枠は人間の手で変化させられないものではない。少なくとも近代のエネルギー革命以降、人間は昔に比べて環境制約を外す手段を多く手に入れている。ハーバー=ボッシュ法によってかつては困難だった農作物の増産を達成し、化石燃料技術を発展させて手に入れたレーダーや気象衛星を使い減災を実現する。移動能力も使えるエネルギー総量も、かつてであれば考えられないレベルまで高まっている。環境と経済の関係は一方的ではなく、相互作用を含んでいるのだろう。問題は「環境の大枠」を無限に押し広げられるのか否か。今後の経済成長は、そういう面も見ながら考えるべきかもしれない。
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