変化できる者が生き残る

 ダーウィンの言葉として以下のような台詞をネット上で見かけることがある。
 
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。
 
 日本では前に小泉首相が所信表明演説で「進化論を唱えたダーウィンは、『この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ』という考えを示したと言われています」"http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0927syosin.html"と述べたこともある。ビジネス関連のサイトではちょくちょく見かけるネタだ。
 しかし実はこれはダーウィンの言葉ではない。こちら"http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/koizumi.html"やこちら"http://set333.net/gaido03syunokigenn.html"でその分析がなされているように、ダーウィンはそんなことは言っていないようだし書いてもいない。だとすると、ダーウィン以外の誰がそんなことを言い出したのか。
 それを調べた人物がいた"http://pandasthumb.org/archives/2009/09/survival-of-the-1.html"。彼によるとこのフレーズが最初に登場したのは1963年。同年に出版された本には以下のように書かれている。
 
「ダーウィンの種の起源によると、最も賢い種が生き残るのではなく、最も強い種が生き残るのでもなく、自らがいる環境の変化に最もよく適応し順応する種が生き残るという」
Leon C. Megginson "Lessons from Europe for American Business"
 
 この本を書いたメギンソンはルイジアナ州立大の経営学教授だった人物"http://publications.aomonline.org/newsletter/index.php?option=com_content&task=view&id=539"である。だからビジネス関連のサイトでよく使われるフレーズになったのだろう。もっともメギンソンは引用符を使っていないし、従ってメギンソンの本をもってこれがダーウィン自身の言葉だと解釈するのは無理がある。
 それにメギンソンのダーウィン解釈も決して正確とはいえない。そもそも種は進化の主体ではないし、また種は環境に能動的に適応するのではなく、まずは繁殖過程で突然変異を通じた多様化が生じ、その後に環境の変化が生じてその環境にあった子孫が生き延びて進化する。進化をもたらす力は種の適応力ではなく、あくまで自然による選択だ。
 とはいえメギンソンは「環境の変化に最もよく適応し順応」すると述べ、変化するのが環境であることを指摘しているので、まだ良心的と言えなくもない。しかしメギンソンの言葉は伝言ゲームで伝えられるうちに簡略化され、今では"most adaptable to change"や"most responsive to change"という表現になってしまっている("http://en.wikiquote.org/wiki/Charles_Darwin"参照)。何が変化するのかか曖昧になっているのだ。
 そして日本語では、さらに「変化に対応できる」が「変化できる」まで簡略化されてしまった。changeするのが種そのものであるかのように語られているのである。こうなるともはやダーウィン理解として完全に間違い。これを「ダーウィン曰く」として紹介するのは、嘘をついているのと同じである。
 
 以前、ナポレオンとは無関係の台詞が「ナポレオン曰く」として語られている事例を紹介した"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/time.html"。有名人に仮託して一種の警句を広めようとする人間の性質がもたらした1つの例だが、その獲物は別にナポレオンだけではなかったというわけだ。人間社会というものが実にいい加減であることを示す好例だと言えよう。
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