前回、ソミュールでの会議に関する話を紹介した。基本的にシューデューではなく報告書に書かれている「将軍たちで相談」した結果ナント経由の作戦が採用されたのが史実だと思われる、と指摘した。ただ、1回目の投票では過半数がソミュール経由を推していた将軍たちが、どうして彼らの間で相談した際にナント経由になってしまったのか、そのあたりの事情は実はよく分からない。
Jean Julien Michel Savaryはその著書Guerres de vendéens et des chouansの中で、以下のような説明をしている。
「カンクロー将軍にソミュールまで同行していたブレスト沿岸軍参謀長であるヴェルニュ将軍の見解が、将軍たちの会合で彼らの見解を決めるのに大いに貢献した。
ヴェルニュ曰く『マインツ縦隊は大砲を持たない。彼らは4000挺の銃も必要としている。諸君の砲兵はどこにいる? 諸君の武器庫は? 加えて、常に敗れなお混乱しているソミュールの落胆した兵たちには何も期待できないのでは? 装備に見放されたマインツ縦隊が、ひとたびヴァンデの困難な土地で交戦し、支援の欠如によって進路を退却することを余儀なくされたとしたら、どのような希望が残されるだろうか?』」
Guerres de vendéens et des chouans, Tome Deuxième"
http://books.google.co.jp/books?id=J1_Qd-1h9AEC" p92-93
ヴェルニュの発言が大きな影響を及ぼしたと言及している例は、以前も紹介した通りクレベールがある(Kléber en Vendée"
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k111939x")。というかSavaryが紹介している文章はこのクレベールの本のp111-112に書かれているものの抜粋であり、要するにクレベールが元ネタだ。ただし前にも述べた通り、クレベール自身は会議に参加していない。他にヴェルニュの発言に関する証言が見当たらないためこの記述を採用するしかないんだが、どこまで信じていいのかというと微妙である。
いずれにせよマインツ部隊はナントを経由してヴァンデに攻め込んだ。そしてその最初の攻撃は失敗に終わった。勝負は時の運というが負けてしまえば批判が集まるのはいつの時代も同じ。敗北の責任を取らされてブレスト沿岸軍司令官だったカンクローとマインツ部隊の指揮官だったオーベール=デュバイエは他の地域へ飛ばされた。そのおかげでクレベールやマルソーといった若手指揮官たちが出世する道が開けたとも言える。
非難は後世からも浴びせられた。「ナント案」を批判した最も有名な人物はナポレオンだろう。彼は「このように離ればなれに機動する師団は疑う余地のない敗北へ向かっていた。彼らは集団でシュニーエ[ママ]とサン=フュルジャンあるいはシャティヨンへと行動する必要があった」(Mémoires pour Servir à l'Histoire de France sous Napoléon, Tome Sixième."
http://books.google.co.jp/books?id=H78PAAAAQAAJ" p237-238)と指摘している。ナントにマインツ部隊を移し、そのうえで四方八方からばらばらにヴァンデへ攻め込んだカンクローの計画を問題視している。
ただ、だからと言ってナポレオンが「ソミュール案」に賛成なのかというと微妙。彼が指摘した地名のうちシュミーエはソミュールやアンジェに近く、そこに「集団」で向かうのはソミュール案に同意しているようにも思える。でもサン=フュルジャンはリュソンやサーブル=ドロンヌといったヴァンデ戦線南方に近いし、シャティヨン(現モレオン)もショレより南にある。ソミュールからシュミーエを経てそこまで進出すべき、という意見だとしたら納得がいくんだが、そこまでニュアンスを判断できるほどフランス語に長けていないのでよく分からない。
ナポレオンと並んで厳しい非難をしているのがジョミニだ。彼は「反乱者の拠点は西方を大西洋に、北方を容易には渡河できないロワールに囲まれており、これらが四角形の2つの辺を構成するポルニックの袋小路にヴァンデ軍を追いやり、反対側の角から攻撃するのを模索すべきだった。ナントから出撃した場合、逆に彼らに平野全てを残すようになり、失敗した際には自らが破滅的な退却に晒されることにすらなった」(Histoire Critique Et Militaire Des Guerres de la Revolution, Tome Quatrième"
http://books.google.co.jp/books?id=404UAAAAYAAJ" p295)と述べ、こちらは明確にソミュールからの出撃を支持している。
それだけではない。ジョミニはソミュールの軍司令官であるロシニョールの方を、ブレスト沿岸軍のカンクローより高く評価している。ジョミニによればロシニョールは「機転にも判断力にも欠けていなかった」し、「加えて彼は心から共和国を愛していた。そして多大な危機において彼以上の自己犠牲を払ったものはいなかった」(p291-292)。一方カンクローは「戦術より管理運営に通じており、大衆上がりの人物と競合することに屈辱を感じていた」(p292)という。どちらに好意的かは明白だ。
ジョミニの評価は、正直言ってかなり珍しいものと言える。一般的にカンクローは有能だったが元貴族という立場のために政治的には常に困難に見舞われ、一方ロシニョールはサン=キュロットたちに支援されていたものの軍人としては無能と見なされている。こちらのゲーム"
http://boardgamegeek.com/boardgame/15432/pour-dieu-et-pour-le-roy"に出てくる両者の能力"
http://boardgamegeek.com/image/143587/pour-dieu-et-pour-le-roy?size=large"などはその典型だろう。さらにジョミニ自身、明確にジャコバン派を嫌っている。このジョミニの文章を最初に日本語に訳したときは誤訳しているのではないかと思ったほどだ。
ジョミニはおそらくロシニョールの回想に目を通したことがあったんだろう。ロシニョールは「ソミュール案」を支持した理由として「敵は[ソミュールから]10リューの距離にあるショレにおり、一方で不必要なナントとの合流をするには15リュー移動する必要がある。そこから盗賊どもに到達するにはさらに敵に占拠された土地で労の多い20リューに及ぶ行軍を必要とする」(La vie veritable du citoyen Jean Rossignol"
http://archive.org/details/LaVieVritableDuCitoyenJeanRossignol" p224-225)と記している。
クレベールの率いたマインツ部隊の前衛は8月28日の時点でソミュールに到着しており(Kléber en Vendée, p92)、「ソミュール案」に従えばすぐに彼らを戦場に投入できたのは事実だ。そして「ナント案」を採用すればまずマインツ部隊をロワール右岸に沿って西へ移動させ、そしてナントでロワール左岸に渡ってそこから東へ向かうという大迂回をしなければならないことも間違いない。ロシニョールの指摘はあながち間違っていないとジョミニが判断したのもおかしくはない。
ただしマインツ部隊はカンクローの指揮を望んでいた。その事実を知ったロシニョールは会議で「カンクロー将軍が今から司令官になることを提案」(p227)し、その代わりに「個人的な問題よりも前に軍を最短の道で行軍させることが必要だ。そしてそれはソミュール経由だ」(p228)と主張した。しかしカンクローはそれを受け入れず、「ナント案」が採用されるに至った、というのがロシニョールの説明。ジョミニの文章と平仄が合っている。
では実際にロシニョールが主張するように会議は進んだのだろうか。まず問題として、ロシニョールの文章にはいくつか報告書との間に矛盾が存在する。1回目の投票における票数をロシニョールは11対11としている(p226)が、実際には10対10で棄権1、その他1だった。またロシニョールは会議の再開が翌日になった(p228)と主張しているが、報告書では再開は同日2日の午後8時だったとしている。
報告書を見ると1回目は「ソミュール案」に賛成しながら2回目は「ナント案」に転じた将軍の名も分かる。ムヌーとサンテールだ。だがロシニョールは、この2人が会議の中で特に強硬に「ナント案」に反対していたと記している(p227)。強力な反対派であったはずの彼らが、どうして2回目投票ではあっさりと「ナント案」に転じてしまったのだろうか。2回目も反対を続けたシャルボとか、2度目の投票には名前が出てこない(棄権したのか?)デュウー、サロモン、レイあたりの名前がロシニョールの回想に出てくるのなら、まだ納得いくんだが。
ロシニョールの回想は彼がパリで逮捕されたという話で終わっている(p276)。彼の逮捕が宣告されたのは1794年8月(Réimpression de l'Ancien Moniteur, Tome Vingt et Unième"
http://books.google.co.jp/books?id=i7Q9AAAAYAAJ" p378)。ソミュール会議からほぼ1年後だ。つまり回想はそれより後に書かれたことになる。報告書より新しいのは間違いないだろう。ロシニョールの見解をそのまま信じるのは難しいし、従ってジョミニの文章についても他の裏づけが見つからない限り、全面的に信用するのは控えるべきだろう。
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