将棋とヒューリスティクス

 前にちょっと触れたが"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53867438.html"、電王戦"http://ex.nicovideo.jp/denousen2013/"が終わった。最終的にはコンピューターの3勝1敗1分という訳で、強くなっていると言われていたことが事実であったのを裏付けた格好だが、それよりも何よりも感心したのはこちら"http://kishikawa.doorblog.jp/archives/25910453.html"で紹介されているniconico生放送の来場者数。1局の将棋で延べ50万人近くを集めたってのは大したものだ。総視聴者数は190万人にまで達した"http://bylines.news.yahoo.co.jp/hirabayashihisakazu/20130421-00024503/"とか。
 私自身はコマの動かし方くらいしか分からないので、内容について言及できるだけの力はないのだが、ネットの反応を見る限りバリエーションに富んだ5局だったようだ。最初はコンピューターをきちんと研究した人間側が相手の弱点を突いて勝利。2、3局目は両者がっぷり四つの戦いになった中、終盤に強いコンピューターが人間側の時間切れもあって勝利。4局目はコンピューターが弱いと言われていた入玉が本当に実現してしまい、聞いたことのない引き分けに。そして最後は第1局を逆にしたようなコンピューターの完勝。一方的だったり、似たような展開ばかりが続くよりも、興行としてはおいしい展開だ。
 ヒールとベビーフェイスがはっきりしていたのも、将棋に詳しくない素人に訴えかけるには良かったんだろう。おまけにこのヒールが憎たらしいほど強かったおかげで、ベビーフェイス側を応援する人を集めやすくなった。最終局まで勝ち越しが決まらなかったのも一般向けには売り込みやすい展開だったと言える。理想を言えば最後にベビーフェイスが勝つ展開ならなお良かったかもしれないが、まあ贅沢を言えば切りがない。
 そう考えると、この仕組みを作ったドワンゴ側と、それに乗っかった故米長前将棋連盟会長はどちらもいい商売人だったという結論になるんだろう。ドワンゴはもちろん商売でやっているのだら当然ではあるが、前会長の方は見事という感じだ。彼がコンピューター将棋に敗れた後で書いた本を少し読んでみたのだが、昨年の電王戦の際にまず羽生なら7億円以上という金額を出した上で、「元名人の自分なら1000万円」と書いてこの額を安く見せかけたという話を紹介している。将棋といえど興行であり、いかに儲けるかが重要であることを踏まえるなら、会長にはこのくらいの商才がないといけないんだろう。
 
 こちら"http://blog.shogiwatch.com/blog-entry-2004.html"の指摘によれば、今回の対局はそのほとんどで人間側が入玉含みの展開になっていたそうだ。コンピューターが入玉に弱いということは以前から言われていたし、人間側もその弱点をきちんと理解したうえで指していたのだろう。そもそも去年の対戦もやはり人間側が入玉を視野に入れながらやっていた(と前会長の本に書いてあった)。コンピューターと対戦する場合の定番と言うべき方法なんだろう。ただし、それでも成績は1勝2敗1分(去年の対戦も加えるなら3敗)だったので、決して必勝法とはいえない。
 もう一つ、どの対局にも共通していたのが、序盤は人間側有利とされる展開が多かったこと。一方的といわれた最終局ですら、上に紹介したblogでは15時過ぎの時点で「既に先手[人間側]が相当良さそうだ」と見ている。人間がコンピューターほど深く読みきれていないのか、それとも中盤以降に人間側のミスなどが要因で追い詰められていったのか、そこまで判断できるような能力は私にはないのだが、中盤以降はミスをすれば終わりと言ってもいいくらいコンピューター側に分があるのは理解できた(入玉除く)。またこの点は逆転が多いことも意味しており、こちらのblog"http://d.hatena.ne.jp/akkey66/20130418/1366260663"ではそれが電王戦の人気の理由ではないかとも指摘している。
 面白いのは、コンピューターの指し方について「無理攻め」「緩い攻め」と人間が見なすことをやってくる展開が多いことか("http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%BB%E7%8E%8B%E6%88%A6" コメント190)。これを見て思い出したのが、実はアメフトのプレイ選択。多くのstats系サイトが指摘していることだが、プロのコーチでも統計的な合理性という観点からは消極的過ぎるプレイを選ぶことが実は多い。典型例がパント。大半の場合において期待値から見ればパントよりgo for itの方が有利であるにもかかわらず、人間の試合ではパントを蹴るケースが目立つ。最近でこそBelichickのようにgo for itを積極的に使うコーチも増えてきたが、それでもまだ期待値ベースでは消極的と言われるレベルだ。
 もしかしたら、先行きがはっきりと見えていない段階では統計的合理性より消極的な選択肢を選ぶ、というヒューリスティクスが人間に備わっているのではなかろうか。アメフトであれ将棋であれ、人間はそうした傾向に支配され、そういう選択を選びがちになる。一方、アメフトの統計や将棋のコンピューターにはそういったヒューリスティクスはない。積極的に出る方が有利だと判断すれば平気でそのように行動する。電王戦でもコンピューターは怖がらずに攻めてくるという表現を使う人をネットで大勢見かけたが、その攻めが「怖い」と感じるのはむしろ人間特有の感性なのかもしれない。
 そういったコンピューター側のヒューリスティクスの不在、感性の違いを異質なものと感じている"http://blog.share-wis.com/?p=1009"人もいるようだ。中でも面白かったのがこちら"http://blog.livedoor.jp/i2chmeijin/archives/26948452.html"の※37に書かれている「前4局は感動と興奮があったが第五局は絶望と恐怖だったわ」という言葉。人間の目で見て「えらく細い攻めを繋ぐ」"http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/131f77daa324eed4ffdbf4628463a1ad"と思われるようなやり方で、しかも勝ってしまうのは、なかなか生理的に受け入れがたいのかもしれない。
 もっとも本当に将棋における人間が消極的過ぎるのかどうかはまだ分からない。こちらのblog"http://openblog.meblog.biz/article/15701010.html"などは、むしろ防御を完璧にする方を優先した戦い方こそが、対コンピューター作戦のキモだと述べており、むしろ攻撃優先の現代将棋を「袋小路」だと指摘している。徹底して守るタイプの戦い方でコンピューターに挑む棋士が登場し、それがどの程度の勝率を収めるかを見なければ、人間が合理的なラインより慎重すぎるヒューリスティクスを持っているのかどうかは判断できない、ということかもしれない。
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