ニセ新聞

 ナポレオン漫画最新号、えらく久しぶりに地元の書店で手に入ったんだが、それにしてもペースが速すぎるんじゃないか。ウルムの後始末が終わったかと思うとビクトルがらみの話を挟んで次はもうタボール橋。オーストリア軍の残存部隊(フェルディナント大公とかヴェルネックとかイェラチッチとかメールフェルトとか)追撃はもとより、ロシア軍のクレムスでの渡河を含めた脱出行もなしだ(次回に描かれる可能性はあるが)。
 で、今回も割を食ったのがデュポン。前回のウルム戦ではエルヒンゲン省略のためにネイが全く活躍できなかったが、同様にドナウ北岸でオーストリアの大軍と正面衝突したデュポン師団も無視されていた。そして今回はデュルンシュタインが省略だ。もちろんデュポンだけでなくモルティエ元帥も数少ない見せ場を失っているしガザンも出てこなくなったうえに、ある人に言わせればオーストリア軍の中でも優秀な参謀シュミットの最期も見られなくなったことが確定。おさらばだ。
 一方、トラファルガーは2コマで終わっているが、こちらはいかにも後でフォローするかのような書き方がされている。アブキール海戦の時は時間を前倒ししたが、今回は後に延ばす対応を取るつもりのようだ。盛り上げたいのならアウステルリッツの直前くらいに情報が届いたことにするのがいいだろう。目の前の戦いでの勝利が必要になる条件が整うわけだし。
 もっともアウステルリッツは描かないんじゃないかとも思われる。というかそもそもこの作品は冒頭にアウステルリッツを取り上げているのだから、改めて書くとダブりになってしまう。一方、たとえばアウステルリッツをナレーションだけで飛ばした場合、話として盛り上がりに欠けてしまうリスクもあるわけで、これはちょっと難しい状況になってきた、かもしれない。最後のクライマックスなしでどう1805年戦役を終わらせるのか、作者の腕が問われそう。
 
 では史実と比較を。漫画では冒頭にマックとベルティエの会合が描かれている。実際には降伏に関してはウルムの城内にいるマックと外にいるベルティエとの間で手紙によるやり取りが主に行われたようだ。まず10月15日にオーストリア軍のリヒテンシュタインがネイに対して降伏条件を提示し、それから交渉がスタート(La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 1er Volume"http://archive.org/details/lacampagnedeena00coligoog" p218)。オーストリア側が名誉ある撤退を要求したのに対し、フランス軍はウルムのオーストリア軍を捕虜にしようとした。マックはこの条件に抵抗を続け、17日にはベルティエ宛の以下のような手紙を出している。
 
「もし[フランス皇帝]陛下が、友軍がウルムを解放できるまでの8日間の猶予を私に認めてくださるのなら、私は[ベルティエ]閣下が葡萄月24日[10月16日]の手紙で示したばかりの提案を受け入れます。そうでなければ、私は以前からの宣言に言及します。即ち守備隊は捕虜となることなくこの地を撤収する準備ができており、もしこの正当かつ公平な要求が拒絶されるならば、自らの不名誉となるよりこの町の廃墟の下に埋もれることをより強く決断します」
La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 2e Volume"http://archive.org/details/lacampagnedeena02coligoog" p848
 
 ナポレオンはこの条件を受け入れ、8日間の猶予(つまり10月25日まで)を与えることを認めた。両者の間に結ばれた停戦の条件はLa campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 2e Volumeのp851-853で確認できる。
 しかし実際には25日までの時間を持ちこたえることはマックにはできなかった。休戦によって外部との情報が通じるようになったオーストリア軍は、増援の到着が不可能だと知り(La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 1er Volume, p227)、そして抵抗が無意味と悟ったマックは19日に改めてベルティエと降伏について話し合った。結果、20日午後3時にオーストリア軍がウルムを出て武装解除されることが決定(La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 2e Volume, p946-947)。他の場所で降伏した兵もあわせ、この戦役で4万5000人以上の連合軍が捕虜となり、ウルムでは軍旗40旒、大砲63門なども奪われた(La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 1er Volume, p229)。
 とはいえこんな詳細な経緯を漫画でわざわざ描き出すメリットはないだろう。面白さ重視で行くのなら、マックとベルティエの会話で全てを終わらせるのはアリ。ただ、この会話の中でまたもや登場機会が奪われた人間が出てきた。もちろん皇帝陛下のスパイと呼ばれたシュルマイスターである。
 
 そのシュルマイスター、以前オーストリア側の史料になかなか見当たらないと書いた"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53800865.html"。今でも厳密にいえば発見しきれてはいないのだが、ドイツ語で書かれたシュルマイスターの伝記、Karl Ludwig Schulmeister der Hauptspion"http://books.google.co.jp/books?id=43kNAAAAQAAJ"の中に最高戦争会議の覚書からの引用が載っていた。1806年7月8日及び16日付のその記録によれば「シュトゥットガルトに送った『彼[マック]が最も信頼しているスパイと説明している』カール・シュルマイスターから『ウルムに連絡が届き、英国軍がフランス海岸に上陸し、国内では革命が発生』」したことを知らされたという。もしこの文章が正しいのであれば、シュルマイスターに関するオーストリア側の史料も存在することになる。
 漫画で描かれている「パリでクーデター、カレーにイギリス軍上陸」という話の元ネタはこれだと見ていいだろう。ただ問題もある。それは「ニセ新聞」の部分だ。Karl Ludwig Schulmeister der Hauptspionの中を読んでも、マックが新聞Zeitungを読んで騙されたという話は見当たらない。この「ニセ新聞」の話はどこから来たのだろう。
 シュルマイスターに関するドイツ語のwikipedia"http://de.wikipedia.org/wiki/Karl_Ludwig_Schulmeister"を読むと、確かに「偽のパリの新聞」を使ってマックの軍勢を足止めしたということが書かれている。だが脚注を見るとソースはYoutubeにも流れているテレビ番組"http://www.youtube.com/watch?v=3iw4mlOX5xs"(日本語訳はこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/48406862.html")。正直、これをそのまま信じるのは拙すぎるだろう。
 他に史料はないのか。google bookで探したところ、こちらの本"http://books.google.co.jp/books?id=Ek1QAQAAIAAJ"のp124に「加えて彼[シュルマイスター]はマックをニセ情報に終始引き付け、賄賂の効く2人のオーストリア士官と、特にこの目的の為にパリで印刷しておいたフランスの状況に関する間違った報告を載せた新聞――革命寸前という趣旨のもの――でそれを裏づけさせた」という文章があった。しかしこの本は20世紀半ば(1954年)出版であり、それより古い文献は見つからなかった。おまけにYoutubeの動画では近くのフランス軍陣地で印刷させたことになっているニセ新聞が、こちらの文献ではパリでの印刷となっているなど、矛盾も存在する。
 前にも書いたがシュルマイスター自身の書いたもの"http://books.google.co.jp/books?id=wwQ0twAACAAJ"が読めないため、この「ニセ新聞」の話がどこまで事実なのかは分からない。ただ現状ではこれが史実と見なすには証拠が不足しているという他にないだろう。テレビ番組や20世紀の書物ではなく、当事者が書いた文章の中に「ニセ新聞」が見つからない限り、現時点ではフィクションであると考えておいた方が安全だ。
 
 長くなったので続く。
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