もう一つ、Pedlowの指摘で興味深いのは、ウェリントンが第1軍団の集結地点としてニヴェールを指定したことだ。この命令に文字通りに従っていたならば、キャトル=ブラはがら空きとなりフランス軍の進撃を止める部隊がいなくなってしまった。なぜウェリントンはキャトル=ブラを空ける危険を冒したのか。プロイセン軍がシャルルロワから退却した後はゴスリーに集結すると事前にウェリントンに伝えていたからだ、というのがPedlowの指摘。シャルルロワとキャトル=ブラの間にあるゴスリーにプロイセン軍が集まるなら、そこの街道は彼らが守ることになる。だからウェリントンはキャトル=ブラを空けてニヴェールに兵を集めても問題ないと思ったんだそうだ。
裏付けとなるのはPflugk-HarttungのVorgeschichte der Schlacht bei Belle-Alliance"
http://books.google.co.jp/books?id=AdusQAAACAAJ"という本らしい。困ったことにこれまたgoogle bookでは読めないうえにinternet archiveにも見あたらない文献だ。もしかしたらこちら"
http://www.waterloo-campaign.nl/preambles/blucher_wellington.8.pdf"に載っている「ナポレオンが前進してきた場合のツィーテン部隊の配置」(p13)が論拠かもしれない。5月2日に書かれたこの文章によれば、第1軍団の第1旅団はゴスリーに後退してその背後に布陣することになっている。
しかし実際にはプロイセン軍はゴスリーを早々に諦め、フルーリュスへと後退していた。がら空きになりかねなかったキャトル=ブラ街道を救ったのは第1軍団の参謀長だったコンスタン=ルベックだったとPedlowは結論づけている。ただしその論拠はLa campagne de 1815 aux Pays-Bas, Tome Premier"
http://archive.org/details/lacampagnedeaux00basgoog"。以前にこちら"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/52071176.html"でも指摘したが、この本を読んでもコンスタンがペルポンシェより積極的に命令無視をしたと判断できる論拠は見つからない。Pedlowは他に何かそうした論拠を知っているのかもしれないが、それなら是非教えてほしかったところだ。
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