ウルムのマック

 しばらくサボっていたナポレオン漫画だが、気がつくと戦役が始まっているじゃないか。ようやくナポレオン戦争も本格化だ、さあこれからが楽しみ、とか思っていたらウルム戦役があまりにもあっさり終わりすぎて愕然。「75%の確率でオーストリアと同盟軍が勝ちまする」と自信満々な台詞で登場したマックが二十数ページ後には顔芸の挙句に「ウルム陥落の可能性…100%」と禿げ上がっているわけで、そりゃ早すぎるでしょ。ボーリューもヴルムザーも、アルヴィンツィだってもう少し持ちこたえたぞ。
 とはいえ登場しただけマックはマシか。オーストリア軍の本当の司令官であるフェルディナント大公は名前も姿も見当たらず。マックらと連携して行動するべく南ドイツへ向けて行軍していたはずのクトゥーゾフも今回は全く出てこない。ついでにマックを騙したと言われているあの著名なスパイ、シュルマイスター"https://fr.wikipedia.org/wiki/Charles_Louis_Schulmeister"もあっさりスルーされている。
 シュルマイスターに関する書物は早くも1817年には出版されている。Bruchstücke aus dem Leben des Charles Schulmeister von Meinau"http://books.google.co.jp/books?id=RO9OAAAAcAAJ"がそれで、その文章によれば、マックはシュルマイスターに吹き込まれたパリとフランスのいくつかの地方で発生した反乱という「お話が頭に住み着いて」(p28-29)しまったそうだ。漫画の中にある「パリでクーデター」という情報は、この本が正しければシュルマイスターがもたらしたものなんだが、スパイ自身は登場の機会を与えられなかった。
 それにしてもこのシュルマイスターの話、どこまで本当なのだろうか。Der Krieg 1805 in Deutschland"http://books.google.co.jp/books?id=OGZBAAAAIAAJ"はオーストリアの一次史料 originalquellen を使って書かれた本であるが、中にはシュルマイスターの名もスパイという言葉も登場しないし、パリという地名も外交に書かれた部分にしか出てこない。マック自身が弁明のために記したVertheidigung des österreichischen Feldzugs von 1805"http://books.google.co.jp/books?id=2ypPAAAAcAAJ"も同様で、パリの名が出てくるのはナポレオンがヴェルティンゲンで得た戦利品を送った先としてだけである(p316)。フランス側の史料には、たとえばシュルマイスターがサヴァリーに宛てた手紙などがある(La campagne de 1805 en Allemagne, Tome Troisième, 2e Volume"http://archive.org/details/lacampagnedeena02coligoog" p1024-1027)のだが、オーストリア側の史料で見つけられないのがもどかしいところだ。
 
 漫画ではウルムのマックはほとんど1日でフランス軍に囲まれたかのような書き方をしているが、もちろん実際は違う。具体的な経緯は、たとえばMaudeのThe Ulm Campaign"http://archive.org/details/ulmcampaign180500mauduoft"などを見るのがいいだろうが、フランス軍がラインを渡ってからウルムのマックが降伏するまでにはかなりの時間がかかっている。
 ナポレオンは9月23日付のマセナへの手紙で「[葡萄月]4日[9月26日]にラインを渡る」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Onzième"http://books.google.co.jp/books?id=Ha3SAAAAMAAJ" p246)と述べ、その4日付の手紙で兄ジョセフに対して「全軍はラインを渡った」(p248)と書いている。従ってライン渡河が9月26日に行われたのは間違いないだろう。一方、ウルムのオーストリア軍が降伏し、要塞を出てナポレオンの前を行軍したのは10月20日(p342)。1ヶ月弱の戦役であった。
 歩いただけで勝ったと言われるウルム戦役だが、もちろん戦闘もあった。たとえば漫画では台詞の中で言及されるだけで終わっているが、ヴェルティンゲンの戦闘は10月8日(p303)、アルベックの戦闘は10月11日(p327)であり、この戦いはまたハズラッハ=ユンギンゲンの戦闘とも呼ばれている。加えて、漫画には出てこないが有名なエルヒンゲンの戦いは10月14日だ(p327)。BodartのMilitär-historisches Kreigs-lexikon"http://archive.org/details/militrhistorisc00bodagoog"によればヴェルティンゲンは両軍あわせて1万5000人、アルベックは3万1000人、エルヒンゲンは2万4000人とそれなりの規模の戦いだった(p363-364)。
 というかBodartに従うのならそれ以外にも10月9日のギュンツブルク、10月12日のパルスドルフ、10月16日のヘルブレヒティンゲン、10月17日のネレスハイム、10月20日のエシェナウなど、いくつもの戦闘や小競り合いがあったことになる(p363-366)。この漫画はイタリア遠征の時はやたらと細かい戦闘まで描いていたので、今回もそれで行くなら見せ場は色々あっただろう。でも今回は戦闘シーンよりマックの顔芸を重視したようだ。
 まあ実際問題として、こうした一連の細かい戦闘について詳しい人はほとんどいないだろう。そこで参考になるのがこちら"http://www.napoleon-online.de/html/1805karten.html"。ウルム戦役を含めた1805年戦役に関する様々な地図を取り揃えている。これを見ればヴェルティンゲン、ギュンツブルク、ハズラッハ、エルヒンゲン、ネレスハイムそれぞれの地図を見ることができるほか、両軍の動きについても時系列で知ることが可能だ。ついでにハズラッハの地図"http://www.napoleon-online.de/Feldzug1805_Krauss12.jpg"に描かれているウルムの姿を見れば、漫画のようにドナウ河の両岸に広がっているのではなく、あくまで北岸にあった町であることも分かる。実際にはウルム要塞そのものに加え、ミヒェルスベルクなど周辺高地の防御陣地も含めた全体の防衛施設が重要だったそうだ。
 さらに出てきた地名にツッコミを入れるなら、まずミメンゲンてのはおそらくメミンゲン"http://en.wikipedia.org/wiki/Memmingen"のことだろう。レヒツの橋はよく分からない。レッヒ川にかかる橋のことかと思ったが、レッヒ川はドナウヴェルトでドナウに流れ込んでいる川であり、ウルムからは遠い。イラー川ならちょうどウルムでドナウと合流しているので辻褄が合うんだが。あとダッハウはミュンヘン北西にある場所で、ウルムに追い込められたマックの手元に情報が届くような場所ではない。ダッハウ方面に向かったのはウルム包囲でなくクトゥーゾフ牽制に使われたダヴーの第3軍団。マックから見れば包囲網の向こう側にある場所だ。
 ついでにロシア軍がユリウス暦を使っていたという話。このこと自体は事実だが、もちろん史実のマックがそんな見落としをした訳ではなかろう。オーストリア軍は対オスマン戦でしばしばロシア軍と共同歩調を取っており、ロシア側の状況をよく知る人物が軍内にはいたはずだし、マック自身も1787年以降にオスマン戦に参加している(Biographien der ausgezeichnetesten Feldherren der K.K. österreichischen Armee"http://books.google.co.jp/books?id=TaZAAAAAYAAJ" p832)。まあ漫画はフィクションなんだから別に構わないといえばそれまでだが。
 
 それにしてもこの展開だとマックの出番はほぼ終わりだろうなあ。ウルムはやろうと思えば色々と面白い戦役なんだが、フィクション的に言うとマックじゃキャラが弱いのかもしれん。せいぜい後日談が少し語られる程度で、おそらくすぐにでもクトゥーゾフとかバグラチオンに焦点が移りそうな感じ。後はアウステルリッツで死ぬ予定の例のスパイに見せ場が残っているかどうかが注目点だろうか。
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