40年後

 「2052~今後40年のグローバル予測」"http://www.amazon.co.jp/dp/4822249417"を読了。あの成長の限界に関わった人物が、成長の限界から40年後に今後40年の予測をまとめたという本だ。内容は巻末の解説に書かれている通り「現代のマルサス」という感じ。人類はこれまでもそうだったように経済成長を捨てて持続可能性へと舵を切ることはできない、との前提で40年後にどうなるかを予測したものであり、基本的には将来に悲観的だ。でも思ったほど悲観的でもない。
 著者自身も驚いているようだが、少なくとも2052年の時点では人類の過剰消費による「オーバーシュート」が原因となる「崩壊」は起きない。オーバーシュートを止めることはできないが、オーバーシュートのペースが緩む結果、「崩壊」の到来は21世紀後半まで先延ばしされるというのが著者の予測。この指摘が正しいのなら、多分私は崩壊に立ち会うことなくこの世を去ることができるだろう。喜ばしい結果、と言っていいのだろうか。
 著者は、最近紹介しているピークオイル論者とは一線を画している。彼は化石燃料の枯渇を懸念していないし、ピークオイル論者が指摘するように化石燃料の価格が上がり続けるとも思っていない。シェールガスはたくさんある。石油価格が1バレル70ドルを超えると石炭から合成石油を作る事業が採算ラインに乗るため、それ以上の価格上昇を妨げる。資源供給の不足がすぐにでも生じる可能性はほとんどない、と見ているようだ。
 著者の言う「崩壊」は資源不足ではなく温暖化が原因。産業革命前と比べて平均気温が2度以上上昇すればいずれ地球という有限な資源の限界に衝突して崩壊する、その2度という限界に到達するのが2052年ごろ。だからその時期までは持ちこたえるが、21世紀後半には崩壊がやってくるという理屈だ。ただし気温の上昇が2度を超えた際に具体的にどんな影響があるかについてはほとんど描写されていないため、この「崩壊」なるものがどれだけ深刻なのかはさっぱり分からない。
 p79の図を見る限り、気温の上昇は場所によって濃淡がかなり異なる。高緯度地方ほど温度上昇が大きく、低緯度はそうではない。これは極地方にある氷の融解による海面上昇をもたらす一方、低温すぎて農業などに向かなかった地域が暖かくなる(他方既に暑い低緯度地方はあまり気温が変わらない)ことも意味する。実際、著者自身も途中まで温暖化は農業などにプラスをもたらすとも言及している。それがいきなり21世紀後半には「崩壊」に至るのだとしたら、その経緯と理由はやはり説明してほしかった。
 というか、はっきり言うとこの著者のスタンスは決して公平ではない。少なくとも私の目から見る限り、かなり環境至上主義の方に偏った見解の持ち主である。著者は環境のためなら多くの人が今より貧しくなっても構わないと考えているようだし、国民に窮乏を強いることのできない民主政よりも非民主主義的な国の方がいいとすら思っている。著者が最初から最後まで礼賛するのは中国であり、一方で民主政と資本主義に対してはどちらも近視眼的なところがいかんと非難する。
 著者の要望に応じて今後40年の予想を書き送ってきた著者の仲間たちになると、さらに(ダメな意味で)凄い連中が出てくる。いやもちろん真っ当な予想、目を開かれる指摘もあるんだが、一方で代替医療を褒め称えるヤツがいたり、ダーウィンの進化論に否定的な意見を述べるヤツがいたりする。要するにニューエイジ(これもニューミュージック同様、今では古臭い言葉と化した)の亡霊みたいな見解をいまだに振りかざしている連中である。
 著者はこうした他者の見解を入れることで自分の予測に客観的な装いを与えようとしているようだが、出てくる意見を見る限り自分の「お仲間」から貰ったお手盛りの意見を並べているだけに思えてならない。環境主義者と正反対の、それこそ米国の保守系シンクタンクだとかデンマークのロンボルクとかいった連中の意見を紹介してそれと正面から議論しているのならまだしも、これでは全く説得力が増していない。
 しかし何より拙いのは原子力に対する異常な毛嫌いっぷりだろう。理由は分からないが著者はとにかく原発が嫌いで、挙句の果てに「ガス、石油、原子力による発電からも、二酸化炭素は排出される」(p365)とまで口走っている。これはひどい。確かにこちら"http://www1.kepco.co.jp/gensi/teitanso/01.html"にもあるように、原子力発電であっても関連設備から二酸化炭素は出ているが、発電用燃料は二酸化炭素を出していない。ガス、石油と並べるのは無茶だ。というか関連設備から出る二酸化炭素なら太陽光、風力の方が原子力より多い。
 論拠不明な原子力に対する批判とは逆に、太陽光など再生可能エネルギーに対してはかなりの楽観に基づく議論を展開している。2052年には再生可能エネで総エネルギーの37%を占めるというのが彼の予想。しかし論拠となっているのは太陽光パネルの価格低下だけであり、太陽光や風力の問題点(天候次第で発電量が決まるためバックアップが欠かせない)をどう解決するかについては全く言及していない。著者のお仲間による予想の中に蓄電池の高性能化が指摘されているが、単に性能を上げるだけでなくコスト面の課題まで克服しなければ、蓄電池にバックアップの役割を果たしてもらうことは実現困難だろう。果たして40年後に蓄電池はそこまで実用化されるのか、著者によるその辺の言及は全くない。
 個別の予想についてはそれなりに納得いく部分もあるし、乱獲によるニューファンドランド沖のタラ激減など人間による過剰消費の影響に関する指摘の中には妥当と思えるものもある。だがエネルギー関係を含めた記述のバランスの悪さが、そういう部分を打ち消してしまっているのは間違いない。読んでいてあまりに主観的過ぎるように感じてならないのだ。読んでいてもやもやが残る本であった。
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