富永仲基ほか

 前に少し記した大乗非仏説"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53442980.html"について、関連する文献をいくつか書いておこう。
 最初にこの説を唱えたのは江戸時代の富永仲基"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E4%BB%B2%E5%9F%BA"という人物。大阪の商人の生まれで、非常に合理的な視点からアカデミックな分析をしたのが特徴だという。一流の文献学者として今でも古事記研究の時には基礎になると言われる「古事記伝」を記した本居宣長が、この富永の本を読んで「見るに目さむるここち」とまで言ったのだから、画期的な書物であることは確かなんだろう。
 その富永が大乗非仏説を唱えた「出定後語」は近代デジタルライブラリーで閲覧できる"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992108"。といっても彼の文章は返り点付き漢文なので簡単には読めない。まあ彼の思想に関する概要は様々なところで解説されているので、手っ取り早く知るためにはそちらを読めばいいんだが。取りあえず、前にも紹介した内藤湖南の解説"http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/1735_21416.html"あたりが適当か。
 上に紹介した近代デジタルライブラリーの本には、服部天游(蘇門)の書いた「赤裸々」という文章も収められている。文中に富永の名も出てくることから分かるように、服部は富永の出定後語を参考にしながらこの本を書いたようだ。こちらは一応送り仮名付きで書かれているので出定後語よりは読みやすいものの、それでも仏教関連の専門用語が容赦なく出てくる点は同じ。
 服部は儒者だったらしい"http://kotobank.jp/word/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E8%98%87%E9%96%80"。そのためか基本的に彼の赤裸々は仏教批判に終始しており、儒教も含め他の宗教については批判的な発言はほとんどない。このあたりは富永とは違うところで、後者は「翁の文」"http://ci.nii.ac.jp/naid/110007014822"の中で儒教についても仏教同様に客観的な視点から容赦のない分析をしてみせている。
 儒者服部は、近代人富永が見せた批判的視点のうち自分にとって都合のいい部分だけを取り出して記したようにも見える。同じことをもっと品のない語り口でやったのが平田篤胤の「出定笑語」"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949345"(225/329)だ。こちらは国学者であり、神道の立場から仏教を批判するうえで都合のいい論法として富永の説を使っている。一方の富永は神道ですら仏教、儒教同様に分析対象として冷徹に見ていることは翁の文を見ても明らかだ。
 そう考えると、富永はその分析手法を編み出した才能にとどまらず、同時代に広く信じられていた信仰を軒並み相対化している近代人的視点も含め、時代の中で突出した存在であることがよく分かる。明治以降になればこうした文献学的手法を活用し宗教を客観的に見る人物も出てきているが、江戸時代中期という時代にここまで客観的立場をきちんと確立した人物が(しかも町人の間から)出てきたのはやはり驚くべき事態と言えよう。
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