ヴルムザーから皇帝へ
フライブルク、1795年9月16日
神聖なる陛下! 昨日正午、陛下が伯爵ディートリヒシュタイン大佐を通じ私に送ってくださった文書を受け取りました。
戦役計画の完全な変更の必要性を含むライン下流における敵の成功により、そして私が直前の報告で陛下に従ううえで自由を得たその理由にかかわらず、私はより防御に専念するようにし、しばらく危険を冒す仕事に取り組むのを諦め、そして陛下が敬意を持ち、ラインの渡河が行われ得る場合に先導者として利用することになっているコンデ公の手法と連携しない方が良識的であろうと信じます。同じ理由により、私はディートリヒシュタイン大佐に対し、この目的について公に詳細に伝えないよう忠告しました。陛下は私の直前の報告を通じ、私が伯爵クレアファイト元帥の軍との連絡を維持し確保するため、敵がマンハイムとフィリップスブルクを同時に脅かすことでネッカーとムルク間での奇襲渡河を行う意図を防ぐため、及び元帥が右翼を増援しフランス軍の企図に対して精力的に対峙することを容易にするために行った暫定的な手配について知ることになるでしょう。私がクォスダノヴィッチ中将指揮下の部隊を派出する決断をしたのはそれが理由であり、そしてディートリヒシュタイン伯の口頭のほのめかしに従うなら、この点について陛下の意図と合致していたことは私にとって大いなる幸福です。状況の結果及び敗北の連続が敵に可能とならしめた迅速な進展は、私のより詳細な注意に値するものであるように思われ、そして既に3万4000人近くをわが軍とライン下流の軍を分かつ指示した戦線背後の持ち場に布陣させているにもかかわらず――元帥の置かれた不安定な状況、オッペンハイムに対する敵の深刻な威嚇行為、マンハイムの解体、いつ補給を行うのか私が知らないそれ自身の戦力のみにマインツを委ねること、そしてこれら2ヶ所のうち1つに対する砲撃の可能性及び強行渡河計画を指摘するスパイからの繰り替えされる情報、これら全ての理由が私に最後の資源まで元帥に提出させるよう、そして彼にとって最も喜ばしいであろう適切な支援に関して彼の下に男爵ラウアー将軍を派出するよう求めています――もし必要と考えるなら、そしてもし私が陛下から承認を得られるなら、野心的な敵に優位を提供するように自分の持ち場の重要地点を危険に晒すことなく、さらにスイスとの国境に多くを集めている敵が[スイス]各州との情報のやり取りを脅かし我が左翼を破壊することのないように、集め得る2万1000人とともに私が遅滞なく出発するよう迫っています。
私は自らの担当地域の状況、兵の配置と陣地の詳細を陛下に敬意を持って紹介する自由を得るとともに、カッペル宿営地を含む現時点で我が右翼を構成している部分が全て、陛下が私にウィーンで告げてくださった最初の配置によればライン下流の軍が占拠すべき場所であることを、陛下にご覧いただくよう講い願います。ただ元帥は多くの分遣隊を右翼に送ることを強いられ、またその中央と左翼はこれら重要地点を守るにはもはや十分ではないため、2つの軍が分かれた時点でこれらを私の兵の一部で占拠する必要があると判断しました。
必要物資の欠乏が絶えず感じられていることが、陛下の苦悩を繰り返させている点に苦しみを覚えます。戦場の広大さが、防御作戦においてすら、行軍の容易さとしばしば速度を必要としますが、引き馬の欠乏と必要物資の遅れが移動を麻痺させている限り、実行することができません。
私は自らに委ねられたこと全てを実行し、陛下の軍の栄光を支え我が主君の利益に貢献しようと試みながら、陛下からの新たな命令を待っています。(後略)
Thugut, Clerfayt und Wurmser"
http://books.google.co.jp/books?id=J04_AAAAcAAJ" p214-217
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