伝令の伝説

 前に伝令の話を書いたことがある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/30427663.html"。そこで調べてみたのは、ベルティエが多数の伝令を出していたというナポレオンの語った逸話だ。Uffindellの本には「20通のメッセージを送り出した」云々という話が載っていたものの、実は冗談だったとUffindellは記しているし、そもそも論拠も出典も不明である、というのが前回の結論。
 一般的に「20通」という話はほとんど見ない。日本語ではたとえばベルティエのWikipedia"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8"に出てくる「後年、ナポレオンは『ベルティエなら1ダースの伝令を出しただろう』と語っ」たという話が目立つし、こちら"http://napoleonicwars.web.fc2.com/military-history/1815.html"にもその話は紹介されている。
 しかし20通より少ない1ダースが本命かというとそうでもない。実は「1ダース」という表現がしばしば見られるのは日本語サイトのみ。英語圏では圧倒的にhalf-dozen、つまり半ダースが多いのだ。たとえばNofiのThe Waterloo Campaign"http://books.google.co.jp/books?id=ZPFtsn-nRTwC"では「ベルティエは通常半ダースの伝令に同じメッセージを持たせて送り出した」(p250)と記している。Dunn-PattisonのNapoleon's Marshals"http://books.google.co.jp/books?id=rP6icw1XF3gC"では以下のような具体的やり取りが出てくる。
 
「皇帝と彼の新しい参謀長[スールト]との間には、ワーテルローでナポレオンがスールトに対し、グルーシーにプロイセン軍の接近についての情報を送ったかと訪ねた時に、典型的な摩擦の例が生じた。元帥は『はい、士官を1人送りました』と答えた。『士官1人だと!』とナポレオンは叫んだ。『ああ! 哀れなベルティエがここにいたなら、彼は6人を送っただろうに』」
p111
 
 6人、つまり半ダースがここでも出てくる。というか実は6人こそが本来の表現であり、それがいつからか半ダースという表現も混じり、さらに日本に輸入されるに際してhalfが抜け落ちたと見ていい。そしてその本来の表現である「6人」の登場も、実はそんなに古くない。発端はDunn-Pattisonが本を出した1909年からほんの10年前、1899年に出版された本にある。
 Herbert MaxwellはThe life of Wellington, Vol. I."http://archive.org/details/lifewellingtonr00sirgoog"を出版するに際し、ウェリントンと交わした軍事問題に関する会話について手稿を残していたド=ロスの息子から、その手稿を借り受けた。そしてこの書物の中に引用されたのが、後に広がる「ベルティエ1ダース」の大元になった文章である。
 
 [ウェリントン]公爵はド=ロス卿に対し「私はベルティエが卓越した才能を持つ人物であったと信じてはいないが、彼はナポレオンの見方と司令部の仕事を進める仕組みを完全に理解していた。ワーテルローの戦いの最中にプロイセン軍が登場したことについて、ナポレオンがスールトに対し、彼らの接近に関する情報をグルーシーに送ったかと尋ねた際に、スールトが『士官を1人送りました』と答え、そしてブオナパルテが『士官1人だと、ああ、哀れなベルティエがここにいたなら、彼は6人を送っただろうに!』と言ったに違いないと、私は自信を持って断言できる」と述べた。
p400
 
 この逸話を話しているのは他でもない、ウェリントン公アーサー・ウェレズリーだ。公爵は「自信を持って断言できる」と言っているが、彼自身がスールトとナポレオンの間のやり取りを聞いたわけではない。つまりこのド=ロスの手書き原稿は、ナポレオン自身がこんなことを言ったという証明には全くならないのである。ベルティエなら多くの伝令を送った筈だとナポレオンが言ったというのは史実とは見なせない。
 
 一方、フランスにはもう少し違う話が伝わっている。こちらは元になっているのがThiersだ。曰く「スールト元帥は参謀長が持つべき資質を完全に有していたが、精密さと経験には欠けていた。彼は、確実に伝達させるためベルティエがしたであろうように、この命令を2、3回に分けて相次ぎ送り出すことをしなかった」(Histoire du consulat et de l'empire, Tome Vingtième"http://books.google.co.jp/books?id=9aMIqO1zIMgC" p30)。6人ではなく2~3回というのがThiersの見解である。ただし、彼は「ナポレオンがそう言った」などとは述べていない。
 ではベルティエなら本当にそうしただろうか。んなわけねーよとツッコミを入れたのがCharles Chesneyだ。彼はWaterloo Lectures"http://books.google.co.jp/books?id=oUsBAAAAQAAJ"の中でThiersの指摘を紹介し(p88)たうえで、ベルティエが伝令をうまく扱えなかった事例を1807年、1809年、そして1813年と実に3つも紹介している(p89)。「ベルティエなら、ベルティエならきっとうまく参謀業務をこなしてくれる」というのは単なる幻想に過ぎない可能性があるのだ。
 つまりここでも「ナポレオン伝説」がその強力な自己複製能力を発揮している様子が見て取れる、ってことだ。Thiersの唱えた「ベルティエならきっと何とかしてくれる」説にウェリントンの「こう言ったに違いない」発言が混ざり、あたかもナポレオンが本当にそう言ったかのように話が伝わる。おまけに日本に入る時に数字を膨らます輩が現れ、伝令数が拡大する。最も酷いのは長塚隆二で、こちら"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"の注釈3ではナポレオンが「ベルティエなら百人の伝令を送っていたぞ」と発言したことになっている。なんともはや。
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コメント

No title

少尉
こんばんは。
一ダースのネタ元がウェリントン公爵なのは驚きました。
「ベルティエなら百人」は有名ですね。
長塚→柘植ラインで、日本では定説化してしまったのではないでしょうか。
発信源は日本人なのかと、気になってちらっと探ったら、このネタ元はティエールなる、スルトのライバルという人の酷評ではないか、との指摘を見かけました。
長塚の著作は読んだことがありますが、史実を知らなかったのか小説家らしくドラマ性を優先したのか。歴史小説は資料的扱いに難しいですね。

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DSSSM(松浦豊)
先ほどコメントを書き込んだ後にこちらを見たんですが、別にそれほど日にちが経ったエントリーではなかったんですね(^_^;

こちらも大変興味深いです。しかし、長塚さん……。長塚さんの本はなんとなく信用できない気がしていて、資料として使いたくはないなぁと思ってはいたんですが……。

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desaixjp
少尉さん
「ベルティエなら百人」が定着しているとしたら困ったものです。冷静に考えれば、たった1つの命令文を送るのに1個中隊相当数の伝令を出すのはおかしな話だと想像できそうなもんですが。
ThiersとSoultの関係についてはよく知らないので何とも言えませんが、Thiersについてはエントリーでも取り上げています。

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desaixjp
DSSSMさん
こちらでまとめて返答します。オラニエ公の話、参考になったようで何よりです。
長塚本は「ナポレオン伝説の紹介本」と考えれば使い勝手のいい本です。「こんな伝説があるんだよ」と言って長塚本を紹介し、「でも史実はこちら」とオリジナルの文献を示すという使い方が典型です。

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JIN
アイラウを扱った、アワーズの最新回では、疲労したヴェルティエ自身が伝令の選別ミスをやってますよね。

(マレンゴの前でもやってますが。)

とにかく後のスルトの栄達に対する反感もその説に一役買った感じも。

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desaixjp
Chesneyによればアイラウ前に伝令が捕虜になったのはジョミニの本にあるそうです。
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