伝説の犠牲者

 DSSSMさんのブログを見ていたら、ワーテルローの戦いに関するWikipediaの記述が凄いことになっているという"http://dsssm.blog.fc2.com/blog-entry-147.html"。どれどれと思って見てみたら"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"、なるほど、確かにこれだけ大量の文章と大量の画像と大量の脚注があるWikipediaのページってのは、あまり見たことがない。
 ただ、一部にざっと目を通しただけで、これはちょっとどうなのかなと思わされる部分がいくつもあった。たとえば「(グルーシーの現在位置から南方の)ワーヴルへ向かい」という部分は「北方」の間違いじゃないのかとか、1901年生まれのMalraux"http://www.malraux.org/index.php/biographie/biodetaillee.html"がどうやったら1821年に死んだ「ナポレオンの側近」になれるのかとか、そういうツッコミどころがすぐに見つかってしまったのだ。
 でもまあこの辺のケアレスミスっぽい間違いはそんなに問題ではない。そのうち誰か気づいて直すだろうし。問題は少し調べてみないと気がつかないタイプの間違いだ。具体的に言えば「軍隊」の項目に書かれている以下の一文である。
 
 「戦後、ナポレオンはスールトを『よい参謀長ではなかった』と述懐している[36]」
 
 [36]ってのは脚注の番号だ。そこを見ると「マルロー 2004,p.431.」と記されている。参考文献に挙げられている「アンドレ・マルロー 『ナポレオン自伝』 小宮正弘訳、朝日新聞社、2004年」のp431から引用した一文だという。だがこれは間違い。ナポレオンはスールトのことを「よい参謀長ではなかった」などと言っていない。もっとはっきり言うなら、参考文献はおそらく誤訳している。
 日本語訳ではなく、原書にはどのように書かれているのだろうか。こちらのblog"http://www.unjournaldumonde.org/2008/03/21/seconde-restauration-simon-bolivar-congres-de-vienne/"にはMalrauxのVie de Napoléon par lui-mêmeから引用した文章がずらずらと掲載されている。このページでSoultを検索すると引っかかるのは「8 10 1815」(1815年10月8日)の項目。そこに書かれているフランス語は以下の通りだ。
 
 Soult n'avait pas un bon état-major.
 
 avaitはavoir(持つという意味の動詞)の直説法半過去第三人称単数形"http://ja.wiktionary.org/wiki/avait"、ne ... pasは否定文"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%90%A6%E5%AE%9A%E6%96%87"である。bonは「良い」でétat-majorは参謀だ。つまりこの文章は素直に翻訳するのなら「スールトは良い参謀を持たなかった」という日本語になる。
 そもそもétat-majorを「参謀長」と翻訳している時点でおかしい。当時、参謀長はフランス語でMajor Généralと書かれるのが一般的だった。事実、こちら"http://books.google.co.jp/books?id=fYUkjqHfzB4C"のp136には、スールトをMajor Généralと呼んでいる6月16日付のナポレオンの命令文が掲載されている。親切なSiborneが英訳と並べて載せているので一目瞭然であろう。état-majorは参謀長ではなく一介の参謀を意味する。だからSoult n'avait pas un bon état-majorを「スールトはよい参謀長ではなかった」と翻訳するのはどう考えても変だ。
 
 間違いの責任は一義的に翻訳者にあるが、一方で原文をまとめたMalrauxも決して無罪とはいえない、と個人的には思う。Malrauxが引っ張ってきたこの文章を、その元ネタになった文章と並べてみれば、そう思う理由も分かるだろう。Malrauxが引用したのはグールゴーのSainte-Hélène, journal inédit de 1815 à 1818, Tome Premier"http://archive.org/details/saintehlnejo01gouruoft"。この本のp197に件の一文があるのだが、見て分かるように実際にはétat-majorでセンテンスは終わっておらず、その後にさらに文章が続いている。フランス語が難しいなら英訳本"http://archive.org/details/talkofnapoleonat007678mbp"のp188-189を読んでもらいたい。日本語にするなら以下のようになる。
 
「スールトはよき参謀を持っていなかった。私の当直将校たちは、ルノーやモンテスキューがそうであったように、みな若すぎた。彼らは単なる副官に過ぎなかった」
 
 ここまで読めば分かるように、ナポレオンがここで問題視しているのはスールトではなく、彼の当直将校も含めたサポートスタッフたちの能力・経験不足だ。トップには確かに百戦錬磨の人材がいたものの、組織は1人では動かせない。トップを支えるべき連中があまりに力不足だったから問題が生じた。ナポレオンはそう言いたそうである。もしマルローがここまで引用していたのなら、翻訳者はそれでも「スールトはよい参謀長ではなかった」と翻訳しただろうか。
 この文章の前の部分についても、Malrauxは文章を省略している。「もしベシエールかランヌがそれ[親衛隊]の先頭にいたのなら、私は敗北していなかっただろう」の後には、実際には以下の文章が続く。「私は擲弾騎兵を予備に持っておくべきだった。彼らの突撃は事態を変化させただろう。というのも騎兵1個旅団で混乱を引き起こせたからだ。1人の士官が、恰も私から出されたかのように、ギュヨーに前進を命じた」。ここでもトップではなく部下の行動が問題の原因になったことを匂わせている。
 そもそもMalrauxはナポレオンがこの台詞を言った日時を間違えて記している。1815年10月ではなく、本当は1816年6月13日。ワーテルロー戦役からほぼ1年が経過したタイミングだ。つまるところ翻訳者だけでなく、ナポレオンの発言をまとめたMalrauxも決して信頼に足る編纂者とは言えない。
 
 ナポレオンはスールトの参謀としての能力を疑ってなどいなかった。それどころか「とても卓越した参謀長("http://books.google.co.jp/books?id=vHUuAAAAMAAJ" p142-143)と言っているくらいで、司令官より参謀長向きだと考えていた節すらある。なのにWikipediaは「スールトは優れた野戦指揮官であったが、参謀畑には不慣れ」と堂々と書き記し、しかもその論拠として文献を2つ(ただしいずれも20世紀の著者が書いた本)提示している。ナポレオン自身の評価より、20世紀のそれも一般向け書物の著者の方が正しい評価をしていると見なしているかのように。
 正直言って、このWikipediaを読んで最も強く感じたのは、「ナポレオン伝説」の持つ物凄い自己複製能力だ。その強さはナポレオン自身の発言すら凌駕するほど。Malraux本の翻訳者もおそらくそれに引きずられてあんな翻訳をしたのだろうし、これだけたくさんの参考文献を読んだ人間(Wikipedia編集者)ですらあっさり騙している。加えて、論拠不明な「スールト参謀不向き説」の再生産をしているだけのこの文章がネット上に登場したことにより、さらに大勢の素人が(大量の脚注が醸しだすもっともらしさに惑わされて)伝説の流布に加担する将来像までが目に浮かんでしまう。おそるべし「ナポレオン伝説」ミーム。
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コメント

No title

少尉
こんばんは。
wikiのワーテルローの頁の急な充実には驚いています。
一年前はなかった気がします。
スルトは~の発言はネットでよく見ますが、本では見たことがありませんでした。ここでも扱われた伝令に関する扱いでのベルティエとの比較は有名ですけど。
誤訳による定説とネットの拡散は凄いですね。

No title

desaixjp
百科事典にはどこまで詳しく記述すべきなんでしょうね。
あくまで参考情報というのならもっとシンプルでいい気がしますし、かといってそこから調査を深めるうえで足がかりになるデータがないのでは無意味ですし。
内容は簡潔に、脚注と参考文献は充実させる、というのが一番無難かもしれません。
あと伝令に関する扱い(ベルティエとの比較)については次にアップする予定です。ご想像通り、あれも「伝説」です。

No title

DSSSM(松浦豊)
どもども、DSSSM(松浦豊)です。時々思い出した様にここを見させてもらう感じなので、今日初めてこのエントリーに気付きました。いやはや、大変に興味深いです……。
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