1793年のヴァンデ内戦で戦った共和国側の将軍たちを紹介していく。王党派の指揮官たちについては森山軍治郎の「ヴァンデ戦争」という日本語文献である程度紹介されているが、その本でも共和国軍の指揮官についてはほとんど触れられていない。そこでどういう人物が関与していたのか、分かる範囲でまとめてみたい。
といっても私もさしてこの時期の共和国軍について詳しい訳ではない。従って以下に記すのはGoerges Sixの"Dictionnaire Biographique des Generaux & Amiraux Francais de la Revolution et de l'Empire"に載っている話が大半を占めることになるだろう。元々、ヴァンデで戦った共和国側将軍にはそれほどの有名人はいない。簡単な経歴のみの紹介で終わる人物も多くなりそうだ。
なお、対象は1793年にヴァンデ方面に赴任したことのある将軍(のうち私が見つけた人物)とする。1794年以降もヴァンデの内戦は続いたのだが、そこまではフォローする力も時間もない。もちろん1回で紹介しきれる数ではないので、今後折りに触れてアップする予定。ネタ枯れ対策でもある。
1)アンヌ=フランソワ=オーギュスタン、ラ=ブルドネ伯
1745年、下ロワール県のゲランドに生まれる。1761年に軍に志願兵として軍に入り、その後は順調に出世。1771年には、後にナポレオンの軍事思想に影響を与えたと言われるブールセ"http://www.historydata.com/biographies/bourcet.html"の副官を務めている。革命前には1788年にmarechal de camp(少将)まで昇進。革命戦争が始まった1792年にはデュムリエの部下として北方軍に所属した。
ヴァンデで叛乱が始まる前の1793年1月31日、ロワールからソンムまでの沿岸地域指揮官に就任。叛乱が始まると、それに対応して共和国は沿岸に展開する軍隊を大きくロワール河北岸と南岸に分けた。その結果、ラ=ブルドネは3月23日北岸のブレスト沿岸軍の指揮官に横滑りしたが、指揮系統では南岸のラ=ロシェル沿岸軍も彼の下に入っていた。もっとも、王党派軍に対してじっくり対処する時間は与えられなかったようで、Ramsay Weston Phippsによると彼はパリに呼び出されて叛乱の拡大に関する釈明を求められたという(Armies of the First French Republic Volume III)。
釈明は認められたが、彼は同年5月15日には早々に西部ピレネー軍の師団長として転出させられた。結果としてヴァンデについては叛乱が始まった時点で指揮官だった人物、という以上の関わりは持たなかったようだ。
同年10月6日、ランド県のダックスで死去。Sixの本には処刑されたというような記述はないので、おそらく病死か何かだろう。ヴァンデ内戦の歴史を僅かにかすめただけの人物である。
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