クロスオーバー

 英国人ながらフランス革命軍に所属した将軍と、フランス人ながら対仏大同盟に参加した人物の回想録を読んだ。前者はJohn Money。フランス革命より前に起きたベルギーの革命に参与し、彼らの独立のために奔走していた人物らしい。その彼がフランス軍に奉職したのは1792年7月19日。本人はあくまでベルギーの独立に寄与するための手段としてフランス軍に加わったようだ。
 ところがそれから一ヶ月も経過しないうちに八月十日事件が起き、王権が停止されフランスは共和制への道を歩み始めた。マネー将軍自身はこの事態を受けてフランス軍に加わるのを辞めようと思ったのだが、革命政府は彼をそう簡単に辞めさせてはくれなかった。結果、ディロン将軍の口添えもあって彼はデュムリエの麾下に入る。そしてヴァルミーの戦いにも関与した。
 ヴァルミーで重要なのは、デュムリエがいつアルゴンヌへ布陣するのを決断したかに関するマネーの証言だ。「1792年9月20日 ヴァルミー」"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/valmy.html"で書いたように、デュムリエ自身は8月28日にアルゴンヌに陣を敷く決断をしたと主張しているが、これは他の関係者の証言と矛盾している。その「他の関係者」の一人がマネーだ。彼はセダンについた翌日の会議で以下のような話がなされたと書いている。

「異なる意見が出された後で、ディロン将軍が最善なのは軍をフランドルの国境へ行軍させ、そこにいる部隊と合流してベルギー地域にいるオーストリア軍を攻撃することだと言った。それだけの部隊をもってすれば何者も我々のブリュッセルへの行軍を阻止できないだろうと。私はそのような意見が出されたことに吃驚したが、さらに驚きだったのはデュムリエだけでなくその場にいた全将軍が同じアイデアを抱いていたことだった。私は何も言うことができなかった」
Money "An English General In the Army of Revolutionary France" p12

 また、マネーの戦闘に関する記録を読むと、革命戦争初期の段階では大砲の数が極めて少なく、ほんの1-2門の大砲だけで戦況が大きく変わる局面があったことが分かる。ナポレオン戦争期の砲撃合戦に比べると、まだどこかのどかな感じが残っていたようだ。
 マネーはその後もフランス軍に所属していたが、年が明け、国王処刑などで英仏関係が緊張の度合いを高めるにつれてそこに止まることに危険を感じ、1793年2月に軍を脱出する。その際にはデュムリエに事情を話し、事実上見逃してもらったようだ。少なくとも一部の革命派政治家よりはデュムリエの方が人情があったということだろう。そのデュムリエ自身も間もなくフランスから逃げ出すことになるのだが。

 もう一人、フランス人ながら対仏大同盟に参加した人物とは、王族の一人であるコンデ公の率いた反革命軍所属のデケヴィリ。王政復古後に出版された彼の本は、ある意味コンデ軍の公式記録のようなものだったらしく、参加した貴族の名前などがかなり詳細に記されている。見ると反革命側にはあの総裁バラスの兄弟(元海軍士官)などが加わっていたようだ。
 最も詳細に記されているのは1793年のヴィセンブール戦線における戦闘。といってもあくまでコンデ軍がどう行動したかが中心となっており、関連で彼らと行動を伴にしていたオーストリア軍の動向が多少は紹介されるくらい。オーストリア軍と並んで戦っていたプロイセン軍については、本当に僅かにしか触れていない。一方で彼らがオーストリアを嫌い、むしろプロイセン側に親近感を抱いていたのは面白いところだ。プロイセンが先に革命政府と単独講和を結んだ時も、彼らに対する批判はほとんど書かれていない。
 オーストリアの将軍たちで目立つのはヴルムゼル。これまたあくまでコンデ軍の直属上司として行動することが多かったために過ぎないが、彼らエミグレの間では評判が悪かったようだ。それにしても私は知らなかったのだが、ヴルムゼルは1793年の攻勢が失敗した時点で一度詰め腹を切らされていたのだとか。1796年になって改めて前線勤務に復活し、それからイタリアへ向かったらしい。
 最後に笑えるのが、ルイ16世が処刑された時と、ルイ17世の死去が伝えられた時の話。お偉いさんが布告を出すのだが、その最後に例の台詞が出てくる。

「諸君、国王[ルイ16世]は死んだ。国王は死んだ、国王万歳!」
Lieutenant General d'Ecquevilly "The Campaigns of the Royalist Army" p17

「諸君、国王ルイ17世は死んだ、国王ルイ18世万歳!」
d'Ecquevilly "The Campaigns of the Royalist Army" p122

 この台詞はもちろん、フレイザーが金枝篇の中で効果的に使っていたあの台詞だ。その台詞が本当に国王崩御時に使われていたのを確認するのは、何とも妙な気分である。

 Le Roi est mort, Vive le Roi!

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