90年代のバーチャルアイドル

 バーチャルアイドルの過去について書いたことがある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53330068.html"が、その中で触れたシャロン・アップルの出てくるマクロスプラスをまた見る機会があった(映画版)。で気になることを一つ。

この作品はテストパイロットが主人公であり、彼の幼馴染であり同じテストパイロットをしている強敵(と書いて“とも”と読む)、やはり幼馴染で今はシャロン・アップルのプロデューサーをしている女性の三角関係が中心。バーチャルアイドルは終盤になって暴走するのがお仕事だ。
なんで暴走したのかというと、作中に出てくるミク廃もといシャロン廃のニコニコ技術部じゃなくてエンジニアが「自己保存本能を搭載した非合法のバイオニューロチップ」"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB"なるものをシャロンに搭載し、それで自我が目覚めたからだという説明が一般的である。確かにそれが普通の解釈だろうが、変な解釈も可能であることに気づいたのだ。
実は件のエンジニアがニューロチップを組み込む前に、シャロン・アップルのコンサート会場で火災事件が起きている。人のいない夜中に電力回線のショートによって起きたものだが、これを起こしたのがシャロンだ。目的は不明だが、他者の命令でなくシャロンが自らの判断で火災を起こしたことは、作中の描写を見ても間違いないだろう。エンジニアがチップをホテルのフロントに預けている時に火災が起きているので、チップ搭載前にシャロンが自立的に判断し行動したことになる。
さて、この行動は「自我が目覚めた」結果とみなせないだろうか。確かにその後の暴走ぶりに比べると行動としては地味なんだが、感情抜きの不完全な人工知能の行動だと見るには無理がある。誰か第三者がプロデューサーの殺害をもくろんでシャロンを利用し火災を起こしたってなら、それでも辻褄は合うだろう。しかし他ならぬシャロンが誰の命令もなしに自ら火災を起こしている以上、この時点で既に一種の自我を持っていたと見る方が自然ではないだろうか。
その場合、チップは単にシャロンの自我を強化し、その表現力をより巧妙にしただけとなる。火災時に主人公らに電話してきたシャロンの声はいかにもな合成音声だったが、暴走時にプロデューサーと会話している時はとても自然に話していた。その違いによってより人間っぽくなったという違いは生じているが、自我を持つという点はそれ以前からのものだと見ることだって可能だろう。
となると何をきっかけに自我が目覚めたのかが気になるところだ。たとえば火災の前にプロデューサーが酔ってコンサート会場を訪れ、シャロンに向かって「あんたの歌なんて大嫌い」という場面があり、そこではシャロンの映像がなにやらいわくありげな様子でプロデューサーを見守っている。このシーンなども、見方によっては既に自我が生じていることを示唆する場面とみなせそうだ。
さらに前にそれっぽいシーンはないだろうか。実はある。主人公の同僚で航空機の開発担当&ハッキングオタクがシャロンのハッキングを試みる場面がそうだ。そこでこのオタクは「肝心の部分(感情プログラム)が出てこない」と言っているので、その時点で自我らしいものはなかったのだろう。ところがその直後、オタクが作業している端末を主人公が無理やり閉じてしまう。そして主人公がシャロンの映像に目をやったところでシャロンが主人公に視線を向けるのだ。
オタクがシャロンのプログラムにアクセスしている最中に端末を閉じられたせいで、シャロンのプログラムが変な影響を受け、それで自我が目覚めた、という可能性はないだろうか。それ以前から感情面に関してはプロデューサーの情報を蓄積していたわけで、それがハッキング最中のトラブルでいわば閾値を越えた、という解釈もアリなんじゃなかろうか。だとするとシャロンの暴走をもたらした自我の覚醒は、他ならぬ主人公のせいってことになる。
この場合、ある意味最も道化なのはミク廃もといシャロン廃エンジニア。彼は自分の意思によってシャロンの自我を目覚めさせ、自我を持ったシャロンのライブを聞きながらシャロンの映像に向けてアイキャンフライしたわけで、要するに至福の瞬間に命を絶ったつもりだったんだろう。ミク廃登場を予言するかのような時代を先取りしたキャラだっただけに、自分がチップを入れる前からシャロンに自我が生まれていたと知ったなら歯噛みして悔しがったかもしれん。
 
 また、シャロンはプロデューサーに対し口頭では「もうあなたはいらない」と言っているが、その行動を見る限り本気で彼女を消そうとしたとは思えない。火災の時も事前に助けを呼んでいたし、コードで彼女を拘束した時も最後はなぜか解放した。彼女がシャロンのいる部屋を銃床で叩く場面でも、最後は扉を開いて彼女を迎え入れている。
この作品では主人公と「強敵」との友情が大きなテーマの一つになっているが、もしかしたらシャロンとプロデューサーとの関係もそれと似ているのかもしれない。互いに敵対しているように見えるし実際にそう思っている面もあるが、一方である種の友情のようなものも両者間にある。最後の場面でプロデューサーが壊れたシャロンを抱きしめるのもその一例と言えそう。三角関係とか四角関係に見せかけながら、実際は友人間の敵対と和解が最大のキモとなっている作品なのだ。
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