世界史の英雄

 先日、こんなもの"http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/7516890.html"を見た。世界史を初めて本格的に学ぶとこういう感想も思い浮かぶものかもしれない。コメント欄にもあるように「教科書はやけにナポレオンにページ割かれてる」事実などは印象に残るのだろう。というか、歴史の教科書でナポレオンは明らかに贔屓されているように思える。
 たとえば三省堂の世界史B改訂版。目次"http://tb.sanseido.co.jp/society/19_text/19_whistory_b_cont.html"を見てもらうと分かるのだが、個人の名前が見出しに使われているのは「フランス革命とナポレオンの時代」たった1例しかない。山川出版社の詳説世界史"http://www.yamakawa.co.jp/textbook/whb016.html"の目次も「フランス革命とナポレオン」というのが人名の出てくる唯一のものだ。もう少し詳しい参考書になれば「アレクサンドロスの帝国」なども出てくるのだが、それでもページ数は革命&ナポレオンより圧倒的に少ない。日本の現在の学習要領において、ナポレオンの位置づけがかなり優遇されている様子が窺える。
 彼が政権の座にあったのは実質15年ほどに過ぎず、直接的に影響を及ぼしたのもほとんど欧州のエリア内に限られていることを踏まえるのなら、世界史の教科書上におけるこの扱いは少々異常と言ってもいいだろう。かつてのような英雄史観華やかりし時代ならともかく、現代の教科書においてなお固有名詞を見出しに残しているのだから。題名に「世界史」の文字を含んでいる書物を本屋で見ると、しばしばナポレオンの絵が表紙に載っているのを見ても、彼が「世界史」を代表するアイコンになっていることが分かる。
 なぜナポレオンは世界史教科書でここまで優遇されるのか。おそらく「革命の申し子」だったからだろう。フランス革命、というかアメリカ独立戦争なども含んだ「大西洋革命」が世界史の中で重要な位置を占めているため、ナポレオンの存在も重視されていると思われる。
 もっとも、だったら「フランス革命」だけ見出しにすればいい、との意見もあるだろう。実際、同じ革命でもワシントンなどは見出しに採用されていないことを踏まえるのなら、ナポレオンの扱いはやはり特殊だと見ることも可能だ。ナポレオン戦争そのものについて言及するのは当然だとしても、見出しに絶対欠かせない存在とまでは言い切れない。やはりナポレオンは日本の世界史教科書業界で贔屓されている、ように思える。
 
 贔屓のせいだけではないだろうが、日本ではナポレオンという名前の知名度は極めて高い。世界史関係者の中でもトップクラスと言っていいだろう。問題は、知名度の高さと彼が何をしたかについての知識に大きな落差があること。大学受験用の世界史B、いや実業高校向けの世界史Aであっても、選択した生徒なら一通りの知識は得られる。しかし世の中には世界史を選択しない人もいる。彼/彼女らにとってのナポレオンは、もしかしたらトランプゲームとかいいちことか変な頭の魚であったりするかもしれない。
 たとえ一通りの知識を得られたとしても、そこから詳しく知ろうとするといきなりハードルが高くなる。何しろ日本語で読めるナポレオン関係の文献は、いくつかの翻訳伝記を除けば伝説を無批判で取り入れているような悲しい内容のものが多い。いや、翻訳文献であっても「日本人が書いているものよりはまだマシ」というレベルのものもある。結局、本気で調べたいなら横文字と格闘する必要が出てくる。詳細な文献も自国語で読める日本史に比べ、条件は厳しい。
 そもそもナポレオンが主に活躍した軍事史の分野は、19世紀に比べて明らかに重要性が低下していると見られている。だから民間のマニアックな研究者が引き続き軍事史を調べている一方、本職の歴史専門家たちの大半は別の切り口から取り組んでいる。軍事史自体が人気がないうえ、おそらく19世紀にさんざん調べつくされた分野なので自分の業績になりにくいのだろう。結局、専門家の世界では、今でもまだ食い扶持が得られる「軍事理論」分野の人間が片手間に取り扱うようになってしまっている。
 民間のマニアと、隣接分野ではあるものの本職ではない学者とが手がける分野。それがナポレオニックだ。ナポレオン自体は世界史の、そして世界史教科書の英雄であるが、ナポレオニック、即ちナポレオン時代の軍事史は、かくしてごく少数の人間のみが手を出す世界になっている。
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