参謀―ティエボー本―

 18世紀以前の参謀制度に関して追加。ティエボーが記した本の中から、フランスの参謀についての歴史を簡単にまとめた部分を翻訳してみた。1813年出版のManuel général du service des états-majors"http://books.google.co.jp/books?id=BmcOAAAAQAAJ"である。
 
「この本が目的としている細部に入る前に、参謀の創設をもたらした主要な要因と、継続的な変化、即ちその概略の歴史を構成するものについて描写することで、読者に準備をさせようと思う。
 参謀の歴史は、厳密に2つの完全に異なる部分に分けることができる。即ち兵科及び連隊参謀の歴史と、軍参謀の歴史だ。だが部隊参謀は我々の主題とはなじまないうえに、兵科参謀に関する考察は付随的にのみ関連するとみなせる。それぞれの歴史について核心のみを観察するのなら、1.各兵科はかつてそれぞれ参謀部を持っていた。フランソワ1世、シャルル9世、ルイ14世及びルイ15世は相次いで歩兵、騎兵、竜騎兵、砲兵及び工兵参謀部を創設した。2.これら5兵科のうち今も自らの参謀部を保持しているのは砲兵と工兵だけで、しかもそれは軍にしか存在せず、そこではこれら両兵科の指揮官とどの中隊にも所属しない士官たちは参謀本部の一部となっている。3.師団において師団参謀が取って代わっているように、軍においては参謀本部が歩兵、騎兵及び竜騎兵参謀部に取って代わっている。そして4.連隊においてかつて参謀は自由に設置し廃止することができたが、今では各部隊が恒久的な参謀を保有している。従って我々はこの2つの事実を述べるにとどめ、もはやこれ以上中断されることなく軍参謀に関する考慮を始めるとしよう。
 何人かの有能な人物が戦争技術のいくつかの分野に組織化の原則をもたらし始めたのは17世紀のことであり、軍に啓蒙主義の動きが加わった。彼らは以下の事実を思い知らされた。時に自然は、困惑している地点における軍の指揮と統制について数が増えているように見える桁外れの人間を生み出すものの、にもかかわらず同時に指揮官が求められる熟考と、そしてほぼ常に修正あるいは変更を必要とする計画の実行に関する細部を拡大する点を十分に満たすのは、人間の力を超えているという事実を。
 我が軍の継続的な増大によって常により目立っているこの事実は、軍司令官の多すぎる役割を減らす手段を考えさせることになった。この目的に到達するため、ルイ13世の下でフランスは相次いで、任務の内容が決して定められなかったaide-de-campとsergent general de bataille、宿舎と宿営地の管理を委ねられたmarechal-des-logis d'armee、そして最後にmarechal de batailleという役職を作った。これらの設置が参謀本部の形成された時期に当たる。だがこれら新たな地位を任せられた者たちは、軍を会戦させるために司令官の命令に従ってどんな仕事もしなければならなかった。
 これら最初の役職にどれほどの限界があったかは分かるだろう。だがこれらの地位こそ本当に役立つ者たちのためにあった。日々より幅広い軍務が提供され、義務の増大がなされた。そこから昇進した者たちは、常により大きな信頼を正当化するように思われた。そしてとうとう1672年(オランダ戦役の最中)にルイ14世は、これだけ高い重要性を得られる責務にはそれを示すより印象的な肩書きが必要だと判断し、marechal de batailleをmajor general(参謀長)に差し替え、そしてこの地位を准将に委ねるのではなく、中将にのみ与えることとした。
 参謀長の機能は命令を旅団参謀に伝え、その実行に心を配り、宿営地を視察し、各部隊に場所を割り振り、物資の分配を監督する。戦闘が行われる日には軍の命令を握り、攻囲の際には塹壕を視察する、などなど。
 だがこれらの細部はなお広すぎると思われたため、1人の人間では不十分だった。そこで各参謀長はその軍務を実行するため何人かの副官と、特に2人の参謀長補佐を持つようになった。
 ルイ14世の治下は戦争の時代だった。戦役に次ぐ戦役の中で軍事機関は発展を遂げた。最初の参謀組織もすぐに増大し、参謀長の命令下で軍ごとに4人創設されたmarechal-general-des-logisは、特に彼らの権限下にあるあらゆる作戦において彼らの代理を務め、あるいは彼らを手伝うためのものだった。
 これら参謀長とmarechal-general-des-logisは我らの時代に至るまで同じものとして残った。だがルイ13世、ルイ14世及びさらにはルイ15世の治下においても、そしてそれらに先行する時代においてはより一層、大きな軍は数が少なかったことには気づくべきである。彼らは従って一体化して宿営し、必要ならいくつかの縦隊で行軍できたが通常は同時に間隔を置いて移動し、そして集まって行動することができた。一方、今日ではより複雑になっている事務仕事は当時はほとんど知られていなかった。かくして4人のmarechal-general-des-logisに助けられた1人の参謀長だけで、全軍にとっては十分だった。部隊配置は一部は口頭であり、ほぼ常に大雑把だった。全軍は同じ命令を、しかも同時に受け取った。この組織の行軍は単純だった。全ては司令官の目の前で生じ、彼は軍の行動のあらゆる細部を理解できた」
p6-9
 
 最初は兵科単位の参謀制度が作られ、だがやがて必要に迫られてルイ13世(17世紀)の時代から軍を運営するための参謀的部署が次々と設置された。最終的にmajor-generalと呼ばれる参謀長の職が固まったのはルイ14世の時になって。だがその頃の参謀部の規模はまだ小さく、革命期を迎えて兵力が大幅に増加するとそれでは人材不足になってしまったことが窺える。
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