前に近代デジタルライブラリー"http://kindai.ndl.go.jp"にアップされている文献について一部を紹介したことがあった"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/eijinbo.html"。この英人某が著した「拿破崙第一世傳」、英語の原題がHistory of Napoleonであることは分かるが、問題は著者。英人某が誰なのか改めて調べてみた、んだがどうも妙な結論になってしまった。 History of Napoleonという題名の本をgoogle bookで検索すると、すぐに見つかるのが3種類の本だ。まずGeorge Moir Busseyの本(第1巻"http://books.google.co.jp/books?id=nPkDAAAAQAAJ"と第2巻"http://books.google.co.jp/books?id=9IcfAAAAYAAJ")、次がRichard Henry Horneの本(第1巻"http://books.google.co.jp/books?id=vKVnm6NVP7AC"と第2巻"http://books.google.co.jp/books?id=gez4WyP53W0C"、そしてLaurent de l'Ardècheの書いた仏語の本を英語に訳したもの"http://books.google.co.jp/books?id=EVoRAQAAMAAJ"である。他にもJohn Gibson Lockhartの本"http://books.google.co.jp/books?id=Mhc_AAAAYAAJ"などがあるが、こちらの題名は正確にはThe history of Napoleon Buonaparteであり、正確には題名が違うため対象から外していいだろう。 では上記の本のうち、原書に当たるものは存在するのか。ここからが微妙な問題になる。まずHorneの本については関係ないと見ていいだろう。冒頭から話の進め方が「拿破崙第一世傳」とはかなり異なっており、あまり共通点が見当たらない。本が出版された年(1841年)だけ見れば可能性はあるものの、Horneが英人某だと決めるのには無理がある。 ならば英人某は残る2人のどちらかになるのかというと、実はそうではない。おそらく正解は「どちらか」ではなく「どちらも」である。そう、どうやら「拿破崙第一世傳」は、この2人の本両方を参照しながら書かれたものである可能性が高いのだ。 たとえば第一編(拿破崙第一世傳 3/126)。冒頭にはボナパルト家が「元伊太利ノ豪族」であることが指摘されているが、この記述はBusseyの本に書かれている「コルシカのボナパルト家はイタリアの貴族の家系に由来する」(p1)と軌を一にしている。またブリエンヌでのナポレオンの教師として「ハーザル、パトロール」(8/126)の名が出てくるが、これはBussey本に出ているFather Patrault(p8)のことだろう。 ところが、ナポレオンの父シャルルに関連し「コルシカ在勤フランス将官」として「マルボーフ」及び「ナルボンネ、ペレズ」(4/126)なる2人の人名が出てくるところは、実はl'Ardècheの本に見られる記述(p8)だ。また第二編冒頭に出てくる「アベー、レーナル」(10/126)なる人物も、やはりl'Ardèche本の第2章に登場する「レナル神父」と同じものと考えられる。一方Bussey本でレナルの名は前書き部分にしか登場せず、本編には見当たらない。 そもそもl'Ardèche本(最初の出版は1840年)は著者名を見ても分かる通り、元はフランス人がフランス語で書いたものを英訳したに過ぎない。一方、Bussey本は確かに英人が書いたものだが、google bookに書かれている1811年出版は間違い。おそらくMDCCCXLをMDCCCXIと間違えたのだろう。つまり正確にはこちらも1840年出版だ。 そして日本で明治12年(1879年)に出版された「拿破崙第一世傳」には、この2つの本の内容が入り乱れて存在している。つまりこの本は、実際には翻訳者が複数の原書を参照しながらまとめたもとだと考えるのが妥当だろう。もしかしたら上に記した2冊の本以外にも参考にされた本があるかもしれない。となると原著者の名がはっきりと記されていない理由も想像がつく。勝手に翻訳者がまとめてしまったのだから、原著者の名前など出すに出せない。 いやいっそ、この本を書いたのは「英人某」というペンネームを持つ日本人であった、と考えた方がいいのかも。
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