マニャーノ史料6

 クライ中将は以下の報告を送ってきた。
 先月30日にヴェローナ近くで逆襲を受けた後、敵はアディジェを下り、その河とタルタロ間に布陣したうえで、そこからアディジェを再渡河する恐れがあった。だが敵が全戦力を集められないことを理解していたクライ中将は、すぐ彼らを攻撃する決心をした。敵の司令部はイゾラ=デラ=スカラにあった。1つ目の宿営地はヴェローナ城下にある我々の軍に対峙するマニャーノにあり、2つ目はレニャーゴに対峙するメネーゴ川沿いのレッカ近くにあった。クライ中将の計画は、まずマニャーノ近くの敵宿営地を攻撃し、そして可能ならイゾラ=デラ=スカラまで突入するというものだった。そこで彼は今月5日に敵に接近し、そして朝10時に3個縦隊で彼らを攻撃し、4つめの縦隊がそれを支援した。戦闘はすぐ全面的になり、敵は最も頑強な抵抗を行った。長い間、土地が争われたが、帝国兵の頑強さと勇気が勝利を得た。敵はあらゆる場所で壊走し、マニャーノの宿営地から追い払われた。夜が来て戦闘に終わりを告げた。夜の間に帝国兵はレチェードレ、カステル=ダツァーノ、フッタ=フレダ、そしてヴァレーゼに戦線を敷き、この2度目の敗北後の敵の動きを見張った。
 伝令の出発時点で我々は既に大砲11門、弾薬車30両、軍旗7旒、そして2000人以上の捕虜を得ていた。我々の損害はクライ中将による見積もりだと死傷者2000人。敵の損害は陛下の兵が驚嘆すべき勇敢さを発揮したため、はるかに多い筈だ。
A Collection of State Papers, Vol. VIII."http://books.google.com/books?id=8FlFAAAAYAAJ" appendix p179-180
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