週記

 日記ならぬ週記である。

 アメフト漫画の早売りを読んだが試合がないので今回はパス。代わりに最近読んだ本の話を。
 ドーキンスの「祖先の物語」をしばらく前に読了。生物の進化を逆にたどり、ヒトから初めて先祖を遡ることで他の生物や進化について記述している本だ。要するに最新の研究成果を一般向けに紹介した啓蒙本だと考えればいいのだが、その中で一つ面白いことがあった。本の最後にドーキンスが行っている「巡礼の道を逆にたどる」行為、つまりもう一度進化をやり直すとどうなるかという話の部分だ。
 グールドも「ワンダフルライフ」で同じことをしていたが、彼の結論はもう一度進化の道をたどると今とはまったく異なる道を歩んだ可能性が高い、というものだった。たとえばカンブリア紀より前まで遡ってやり直すと、地上はエディアカラ動物だけに覆われていたかもしれない、それ以前までテープを巻き戻せば、そもそも細菌類しか地上には存在しなかったかもしれない、云々。
 グールドが進化において多様性をもたらす偶然というものを重視していたのに対し、ドーキンスはむしろ自然選択による収斂進化に重点を置いている。したがって、同じようなテープの巻き戻しをやってもドーキンスの指摘はグールドと異なっている。カンブリア紀からやり直した場合、哺乳類の一部が巨大な脳を持つとは限らないが、それでも高い知能を持つ生物がいずれは生まれていただろうとドーキンスは見る。眼が様々な生物で何度も再発明されたように、それが進化において適応的ならいずれは同じ形質が現れるはずという訳だ。
 だが、その中でドーキンスが一つだけ宗旨替えをしたように見える部分がある。テープを巻き戻してもう一度やり直したら、同じことが起きる可能性が極めて小さいであろう現象が、進化の過程で存在した。そんな、まるでグールドが言いそうなことをドーキンスが語っているのである。その出来事とは、真核生物の誕生だ。
 真核生物の中に存在するミトコンドリアと葉緑体が、元来は独立した生き物であったことはほぼ間違いない。だが、それ以上に詳しい真核生物の誕生過程となると、まだ分からないことが多いのが実情のようだ。たとえばこちら"http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~kuwabara/hypothesis.html"では古細菌と真正細菌の融合で核膜を持つ真核生物が生まれたとしているが、そのメカニズムについては「謎に包まれたまま」。一方こちら"http://www.ls.toyaku.ac.jp/~lcb-7/yamagishi/eukaryotes.html"では、古細菌の祖先が巨大細胞を形成し、それが真核生物の元になったとの説を唱えている。
 ただ、真核生物の誕生過程はともかく、それが生まれるまでに随分と時間を要したのは事実。こちら"http://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-6.2.W.html#shou3"には「真核単細胞がうまれるのに15億年、多細胞真核生物が生まれるのに同じぐらい長い10億年を要したという証拠があります」と指摘されている。つまり、それだけ真核生物は簡単には生まれてこない生命形態だったということ。おそらくそうした事実からドーキンスは「もう一度やり直した時に複雑な生命が生まれてくる保証はない」という判断を下したのだろう。
 ドーキンスが論拠にあげているのはMark RidleyのMendel's Demon"http://www.amazon.co.jp/gp/product/0753814102/sr=8-19/qid=1161411987/ref=sr_1_19/250-1051860-6719462?ie=UTF8&s=english-books"という本。あちこちにあるレビューなどを見ると、生物の誕生自体は珍しいことではないが、複雑な生物の誕生は極めて起きにくいと主張している本のようだ。その一つの論拠が性の存在。性の存在によって突然変異によって生まれる劣性遺伝子が生命活動に悪影響を与えないようにすることが可能になり、それが複雑な生物(原核生物に比べ多数の遺伝子を必要とするため、それだけ突然変異の影響を受けやすい)の進化を支えた。性があるのは真核生物のみ。めったに生まれてくることのない真核生物が存在しなければ、複雑さも進化しないという訳だ。
 面白い議論であり、ここはぜひMendel's Demonを読んでみたいところなのだが、残念ながら日本語訳が出ていない。今後出る予定があるかどうかも不明。誰か翻訳して出版してくれないだろうか。

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