今年も淡々と貼っていく。
ずっと以前からフランス政府に対するのと同様、イタリア方面軍の司令官に対しても仕組まれていた陰謀を紹介する時が来た。私がミラノに到着した時から、我が任務の目的に関する極めて馬鹿げた噂が流布されていた。フランス政府とチサルピナに敵対する党派が、フランス総裁政府はチサルピナの放棄によって皇帝との平和を買おうと秘密裏に望んでいるとの話を広めたのだ。将軍である私は、この自由の破壊の実行者だとされていた。駐ミラノのフランス大使もこの悪名高い噂を知っており、総裁政府に書き伝えていた。
6日の成功は彼らによって敗北に変換された。5000人近い捕虜がミラノを通過し、それが戦いの勝利を保証したにもかかわらず、彼らによれば軍は失敗に苦しんでいた。16日の戦い後になると状況は大きく変わった。2個師団の退却は司令官のせいにされ、彼らはもちろん我々の損害を誇張し、軍は壊滅したと言った。こうした噂が軍内に広められた。スパイが兵士たちの間を行き来し、兵士たちに別の将軍が来れば勝利が得られるとほのめかした。少数の個人が関与している恐ろしい盗賊行為を制圧するために私が出した命令の厳格さは彼らを怒らせた。私が兵を不必要に戦闘へと導き兵たちは予め決められた計画の犠牲になっていると、彼らは兵士たちに信じ込ませた。
私は兵の一部によるこうした対応が秘密裏になされていること、そして私に対する不信が醸成されていることを確信した。私はそのことをモロー将軍に話した。彼は特別な任務のためパリに向かえとの命令を受けたばかりだったが、私は彼に対し、兵士の大半がライン方面軍で彼の下に仕えたことのある軍に残るよう懇願した。私は兵の一部による対応に関して彼に隠さなかった。私は総裁政府に召還を求めた。軍の一部がその将軍に信頼を抱いていないと確信した時以来、もはや私はここでは役にたたないと判断していたからだ。多大な落胆と戦争による疲労は私を極めて衰弱させ、古傷をあまりに悪化させたため、私は馬に2、3時間しか乗っていられなかった。この状況下で司令官に必要な活動力を保てなかった。私は軍に信頼されている別の将軍に指揮権を与えるよう総裁政府に主張した。兵士たちがモロー将軍を想定していることを私は隠さなかった。彼は2つの戦闘で名を上げ、多大な貢献をすることができただろう。
以上が、軍の一部の信頼が私から離れていったのに気づくや否や私が採った対応である。私に関する兵の一部によるこれらの不当な対応は、もはや困難な状況下で彼らの側の努力に私が期待できなくなったことを示していた。匿名の手紙が日々、私にその事実を伝えてきた。よろしい! 私は中立的立場の人に問おう。この行動は指揮官に嫉妬した人間の、2つの共和国の利害を裏切った人間の、最終的に祖国の栄光より自らの満足を優先させた人間の行動ではないか? 敢えて言うが、私はこの困難な状況下であらゆる犠牲を払ってきた。私は国民のことだけを考えるよう行ってきた自制を、全て忘れなければならない。
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