この戦役における私の対応について自ら話しているのは、私が間違っているという批判に答えるためではなく(それに対する私の証言は戦役前に述べた)、会戦当日における司令官の義務について率直かつ明白な説明をするためだ。
私は師団を指揮する将軍たちに、毎時間、もし必要ならもっと高い頻度で、それぞれの攻撃において何が起きているかを私に報告するよう命じた。デルマ師団は、上に述べたようにある種の予備となり、私はこの師団の位置が私の持ち場だと将軍たちに伝えた。攻撃の中央に位置していたため、私はそこで状況に応じて命令を出し報告を受けることができた。もう一つの理由も私がそこにとどまることを決めた。6日の戦闘で負傷していたデルマ将軍は、15日の行軍で酷い落馬をし、高熱で苦しんでいた。それでも彼は戦闘の間師団の指揮を執ることを望んだ。同師団には戦闘開始時から負傷した1人の騎兵将軍*と、准将の役割を果たしている参謀副官1人**しか残らなかった。それを相殺するために私はそこにとどまったが、将軍たちへこの中央地点に彼らの報告を提出しそこから私の命令を受けるよう伝えた指示の中では、この件には触れなかった。私は戦闘の間、デルマ師団の真ん中にとどまった。2時間の間、幕僚たちと同様に私も敵砲兵の攻撃の焦点にいた。何人もの兵が私の傍で戦死した。私はこの勇敢な師団の輝かしい機動と冷静さを目撃した。兵士たちは食事も取らずに15時間も行軍した後だというのに、敵の攻撃を常に撃退した。一度だけ単なる伝令役の猟兵が私に右翼への増援を口頭で求めたことがあった。同じ時に敵は精力的な突撃を行い[デルマ]師団の右側面を圧倒していた。私は彼に敵砲兵の砲撃を指し示し、彼の腰が引けた。私は猟兵に対し、将軍のところへ戻り、彼の状況について書いたものを私に送り、そしてモロー将軍が救援に来るまで持ちこたえろと伝えるよう命じた。私はこの将軍[モロー]に3人の士官を送り、右翼方面へ折り返してヴィクトール及びグルニエ師団を圧迫している敵の背後を取るよう命じた。最後に、もし私の期待に反して相互の支援ができないなら、イゾラ=デラ=スカラへ後退するよう告げた。
* ボーモン将軍。
** グランジャン参謀副官は、6日に戦場で准将に任じられた。
司令官の義務は散兵の先頭に立って行軍することではない。おそらくそうすることは可能だし、極端な場合においてそれが会戦の行方を決める最後の試みであるならば、兵の先頭に立つべきである。しかし私がいた師団においてそうした対応は必要ではなかった。敵の突撃は全て精力的に撃退されていた。司令官は全体に心を配る。彼は救援や増援の送り出しを命じる。彼は弱体化した地点を新たな兵で支援する。彼は戦闘における全体の監視役であり、個別の機動の実行者ではない。自らの手で戦う者たちのように任務を果たすことはない。むしろ必要もないのにそうすることは非難に値する。同じような問題にもこの話は充分当てはまる。
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