事実に対する知識のために、そして私が現時点までに知る限り将軍たちの作戦に対して判断する能力がない者たちによるうわべだけの異論に答えるためにも、進展させることが重要な多くの考察に対してこの会戦は材料を提供する。
まず、会戦を行う必要はなかったとの見解がある。だが私がしたくなくても敵が私にそれを強いたであろう。なぜなら私が彼らに向かって行軍していたのと同じ時、彼らも私を攻撃すべく行軍していたからだ。戦闘を避けるためにはマントヴァあるいはペシェーラに後退する必要があった。しかし、10日前に敵を打ち破った軍の姿勢として、これは適切だろうか? ロシア軍の到着を防ぎたいと考え増援を受ける前に敵と戦えと将軍に命じた政府の指示に対する適切な対応だろうか? そして結局のところ、攻撃を受けるより敵に攻撃を加える方が価値があるのではないか? もし私が右翼の4個師団に強行軍を命じていなければ、軍は間違いなく敗北した。モロー将軍は5万人に対してその陣地を保持することは決してできなかった。彼の2個師団が打ち破られれば、必然的に他の4個[師団]も敗北に巻き込まれたか少なくとも退却しただろう。従って会戦が必要不可欠であったならば、繰り返すが攻撃を加える方が受けるより良かった。
もし攻撃配置を批判したいと望むのなら、それは勝利に慣れた者たち、自ら危険に目を閉ざすことなく、しかしながらこれらの配置こそが勝利に導く唯一のものだと確信している者たちの意見が一致した結果として生まれたものであると、私は答えよう。
ならばいい攻撃計画を持ち、有能な将官たちとよき兵士たちによって構成されていた軍の手から勝利が剥ぎ取られた理由は何か? 厳しい批判だ! 軍の指揮権という重荷を委ねられた人々に対して[批判を]声に出す前に、宿営地に行き、敗北と勝利の原因を学ぶがいい。将軍がよい配置をした時でも、その実行はほぼ全部部下の将軍たちの手に委ねられていることを知るだろう。互いに数リューも離れた場所へ大きな分遣隊を出して戦うことを強いられ、自ら百歩離れた場所を見ることができない戦場で、司令官が同時にあらゆる場所にいることはとても不可能。そんなところでは偶然が交戦の運命を大いに動かし、時にはたった1個部隊の後退が充分に会戦の敗北の原因となることを知るであろう。たとえ多大な数的優勢を仮定したとしても、敢えて会戦の間違いない成功に責任を負う将軍がいるだろうか? イタリア方面軍の司令官に、この仮定は当てはまっただろうか?
よろしい! 私はイタリア方面軍の全兵士と矛盾する恐れなく言おう。この会戦の失敗は唯一、敵の数的優勢、特に右翼のそれにのみ原因があると。さらに軍の行軍に伴う困難ゆえ、私の命令が実行され朝のうちに敵に襲い掛かることが不可能になったことにも起因している。もしデルマ師団がブッタ=プレダの陣地を朝6時に占めることができたなら、彼らはドッソブオノに向かい、グルニエ及びヴィクトール師団を精力的に支援しただろう。モロー将軍は宿営地で攻撃を受ける代わりに、ヴェローナから1リューの場所で敵と遭遇していただろう。ほとんど合流した5個師団で敵を正面と側面から攻撃すれば、この日の成功は極めて異なった形になっていたと私は敢えて信じる。
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