シェレール本・4

Précis des Opérations militaires de l'Armée d'Italie, depuis le 21 ventôse jusqu'au 7 floréal de l'an 7."http://books.google.com/books?id=I1jUIeHbyL0C"
 
 私は野戦軍を6つの師団に分けた。うち5つは敵の正面で活動するつもりであり、セリュリエ将軍が指揮する6番目[の師団]はアディジェを渡河した後にトレントでヴァルテリナの師団及びヘルヴェティア軍の師団の1つと合流する。これらまとまった3個師団は、敵の右側面の山岳部で行動する。
 芽月1日、私はマントヴァへ行った。2日、敵の布陣に関する情報を得た。同日、皇帝及び大公への宣戦布告を総裁政府から受け取った。3日、軍に軍旗を授与した。4日、私は将軍たちを集め、私の指示を伝え、それぞれに全面攻撃の計画を知らせた。5日、軍は敵に接近するべく6つの縦隊で出発した。そして6日夜明け、パストレンゴの戦いが行われた。
 私が準備のために費やした活動は、私が義務を果たし政府の意図に答えるため一時も無駄にしなかったことを証明している。
 敵はアディジェとガルダ湖の間、パストレンゴの高地に大規模な部隊を配置した。彼らはそれ自体が強力なこの地形を、大砲を備え付けた堡塁と塹壕で覆った。前衛部隊として配置された6個大隊がブッソレンゴ村を保持し、ヴェローナとの連絡線をつないでいた。敵はヴェローナから12マイルの場所、パストレンゴの背後に2つの船橋を架けた。大砲を伴う数千の兵がチゼ、カルマザン及びアフィの高地に配置され、その右翼はガルダ湖に達し、左翼はアディジェに拠っていた。2万人から2万5000人の部隊がヴェローナとその周辺を占拠。レニャーゴとその前方及び後方に置かれた哨戒線は1万人から1万2000人が布陣した。
 以上が敵の配置である。
 私の攻撃計画はすぐ決まった。ヴェローナからレニャーゴまでのアディジェ全正面で敵を陽動して足を止め、可能なら彼らがアディジェとガルダ湖間に配置した兵を粉砕することを決断した。敵の右翼に対する突然かつ激しい攻撃は、彼らに来援する時間を与えないと判断したのだ。
 そこで私は軍を2つの主力部隊に分けた。モロー将軍指揮下の3個師団はヴェローナとレニャーゴを覆い、これらの地点からアディジェ右岸を経てパストレンゴに到着し得る救援を陽動し止める役目を担う。そして私は他の3個師団と伴に敵の防御を固めた宿営地へ行軍する。
 芽月6日の夜明けに攻撃が始まった。堡塁と防御を固めた宿営地は4時間に及ぶ猛烈な戦闘の後に銃剣によって奪取された。逃げ出せなかった者は全て捕虜となるか戦死した。我々は敵の大砲全てとアディジェに架かる2つの橋を手に入れた。デルマ将軍は負傷しながらも攻撃指揮を執り続けた。ダレム将軍は2発の銃弾により重傷を負った。
 ブッソレンゴ攻撃を委ねられたグルニエ将軍は、剣を手にこの村を奪った。彼は続いてパストレンゴ宿営地の右翼へ行軍し、デルマ師団がそこから敵を追い払うのを助けた。
 防御を固めた宿営地への攻撃の間、セリュリエ師団はチゼの山地をリヴォリとコルンナまで一掃した。この将軍は彼の前に現れた敵全てを追い払い、多くの捕虜を得てリヴォリに陣を敷いた。
 フランス軍左翼がこれら輝かしい優位を得ていた間、モロー将軍が指揮する右翼の師団はヴェローナとレニャーゴ郊外の敵と戦っていた。サン=マッシモ及びサンタ=ルチア村は夜明けに奪取した。敵は奪回すべくヴェローナから2万人を繰り出してきた。サン=マッシモ村は7回も奪回と再奪回が繰り返され、フランス兵は最後に戦場の支配者としてとどまった。戦場はオーストリア兵の死者と負傷者に覆われた。モロー将軍はこの機会に1400人から1500人の捕虜を得て大砲2門を奪った。
 レニャーゴ牽制を委ねられたモンリシャール師団は、その地にいた兵を打ち倒し要塞外部の斜面まで追撃した。敵は夕方5時にかなりの増援を受け取り、我々の兵に占拠された村々に再攻撃を行った。我々は激しく戦った。モンリシャール師団はいくらかの損失を蒙ったが、日が落ちるまでその陣地を保持した。目的を達成した彼らは最初にいたところまで後退した。
 敵はこの日捕虜4500人を含む9000人近くと軍旗2旒、大砲12門及びアディジェに架かる橋2本を失った。パストレンゴの堡塁とヴェローナ城下の戦場はオーストリア軍の死傷者がごろごろしていた。我々の損失は死傷者3000人にのぼり、その中には数人の将官と民間人が含まれている。
 この日の成功は最も喜ばしい希望を私に抱かせた。ヴァルテリナの師団と合流したヘルヴェティア軍の師団が私の左側を行軍し、私が6日の会戦を戦った時にはトレントに到着したであろうと信じる理由があった。この会戦の結果はアディジェにかかる2つの橋を私にもたらし、セリュリエ師団が遅滞なくトレントへ行軍すれば、そこで2個師団と合流できるであろう。それからこの小規模な軍がアディジェの線の側面及び背後を脅かし、欧州に存在する中でも最良のものの一つであるこの防衛線を敵に放棄させるであろう。軍に見捨てられたヴェローナの抵抗はそう長くないだろう。そして戦役の開始時点から最も困難であった目的が達成される。
 敵はパストレンゴの戦いで私の正面に5万人以上の兵力を配置した。ヘルヴェティア及びヴァルテリナの師団による増援は私の兵力を敵と均衡させることになり、成功を期待できるだけの権利があった。
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