日記ならぬ週記である。
アメフト漫画の早売りは読んだのだが、正直言うべきことは特になし。というわけでナポレオン漫画について。
今月号ではいよいよ第一次イタリア遠征が実際に始まった。おどろいたことに一話使ってようやくモンテノッテの戦いが終わったばかり。ツーロンの時も思ったのだが、このペースで話を進めたらいつ終わるか分かりゃしない。今後ともぜひ、好きなだけじっくり描いてもらいたいものだ。
とはいうものの、今回はいささか史実を追うことに手一杯という感じで、時折見られるあのぶちきれた描写は控えめだった。できれば史実など軽やかに無視してもらって読者を笑わせる描写に力を入れてもらったほうがありがたいのだが。その方がこちらとしても「この部分は史実ではこうなっている」という話を書きやすいことだし。
で、今回の話と史実との比較を。まずカルノーが話している「本来、大軍を指揮するには士官学校で成績優秀な者が陸軍大学で鍛えられ、国家試験にパスしたものが参謀となる。そこで数年間、実務経験をつみ重ね、さらにほんの少人数の者だけが将帥となれる」というヤツだが、官僚組織としてより完成された後の時代の軍隊ならともかく、この時代の軍隊にこのような話は当てはまらない。
そもそも革命前には、将帥となるためには貴族の生まれであることが必要だった。フランス軍では平民はそもそも士官にすらなることが難しく、なったとしても尉官どまりというのが普通。カルノーはブルジョワ出身で、工兵という貴族の少ない兵科に所属していたのもあって出世はかなり早かったが、それでも革命前の彼は任官してから大尉に出世するまで12年もかかっている。一方、大貴族の息子であれば、「士官学校」など通わなくても、「国家試験」を受けなくても、簡単に大佐くらいまでは昇進できた。
革命後も律儀に出世街道を歩んだ将軍は少ない。政治的任命か、さもなくば戦場で実績を上げてそのまま一気に出世するパターンが大半である。たとえば漫画の中で「ヘボ絵描き」と呼ばれているカルトーの場合、1793年3月に中佐になったその5ヵ月後には将軍にまで上り詰めている。ロンサンなどは93年7月1日に大尉になった後、2日に中佐、3日に大佐、4日に准将になっている。
そもそも革命期の将帥たちはどれもこれも実績などほとんど持たないまま指揮官の地位を与えられ、ぶっつけ本番で戦った連中ばかりだ。せいぜい下士官としての「実務経験」くらいしか持たないようなやつらが将軍となり、連合軍と戦っていたのである。そうした豪快な試行錯誤の中で実績を上げ生き延びてきた者がこの時期のフランス軍を率いていた。ジュールダンは1793年7月に将軍になり、同9月には北方軍指揮官の地位に就いた。モローは93年12月に将軍となり、94年10月にはピシュグリュの代わりに北方軍の臨時指揮官になっていた。フランスは「選りすぐり」でも何でもない将軍を次々に投入し、その中で勝ち残ってきたのがジュールダンやモローだった。
とはいえ、ボナパルトがイタリア方面軍の指揮官になった時には、指揮官のめまぐるしい交代劇はほぼ終わりかけていた時期でもある。国内軍の指揮官しかやったことのないボナパルトが、他の指揮官たちに比べて新参者であったことは否定できない。そしてまた、カルノーが史実でボナパルトが見せたほどの快進撃を期待していなかったであろうこともおそらく事実。イタリア方面軍の活躍はほとんどの人にとって予想外だった。
次に今回の中では珍しく笑えるボーリューの登場シーンだが、このボーリューという人物は確かに「今は戦いの時だ」という発言をしている。ただし時期は漫画よりずっと前、舞台もイタリアではなくベルギーだ。オーストリア軍の少将としてベルギーの革命派と戦闘している時、彼の息子が致命傷を負った。だが、ボーリューはそれを気に留めず、「諸君、今は嘆く時ではない、戦う時だ」と発言したそうだ("http://fr.wikipedia.org/wiki/Johann_von_Beaulieu"参照)。虫歯の治療シーンよりは感動的である。
また、セルヴォニの撤退とランポンの戦闘がさしたる区別もなく描かれているが、実際にはセルヴォニがヴォルトリ(フランス軍右翼)から撤退する一方、カルカレ近くのモンテ=ネジノ(モンテ=レジノ)の堡塁を守っていたのがランポン。セルヴォニが戦った相手がボーリューの主力部隊だったのに対し、ランポンと戦闘を交えていたのはアルジェントーの率いる部隊だ。さらに、この時期のオーストリア軍は筒型軍帽(シャコー)はかぶっていない。キャスケット"http://www.historydata.com/images/uniforms/Austrian_fusilier_1796.jpg"と呼ばれる帽子を着用していたはずだ。
モンテノッテの戦いについては、マセナがオーストリア軍の右側面を突き、それでアルジェントーが後退を強いられたのは事実。「まずい、側面を突かれた」と大口開いて驚いているあの将軍がアルジェントーなのだろう。オーストリア軍はこの後、デゴへと退却していく。
さて、この調子で行くと次回はカルカレの崩れかけた砦に立てこもるプロヴェラのオーストリア軍と、それを攻めるフランス軍という話になりそうだ。もしかしたらジュベールが登場するかもしれない。だが、上でも書いた通り、これはかなり時間のかかるペース。何しろカルカレの後にデゴ(対アルジェントー)、デゴ(対ヴュカソヴィッチ)、チェヴァ、サン=ミケーレ、モンドヴィなどの戦いがまだ残っているし、それだけこなしてもようやくイタリア遠征の序幕とも言うべき部分が終わるだけ。その後も延々1年以上にわたってイタリア遠征は続くのである。こりゃ大変だ。
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