シェレール本・1

 以下は1799年のマニャーノ戦役に関し、一方の当事者であるシェレールが書いて直後に出版した本の翻訳である。本といってもページ数は少ない。何回になるかは分からないが、基本全訳するつもりだ。
 
 
Précis des Opérations militaires de l'Armée d'Italie, depuis le 21 ventôse jusqu'au 7 floréal de l'an 7."http://books.google.com/books?id=I1jUIeHbyL0C"
 
 共和国暦7年風月21日から花月7日までのイタリア方面軍による軍事作戦の要約。
 シェレール将軍。
 政治的、軍事的経歴において常に幸運な機会に恵まれない人物に、わけても彼を中傷する機会を捉えようと手ぐすねを引いている敵がいるとすれば、それはなんという悲劇だろう! もし彼が失敗すれば、それは百倍にも誇張される。不十分な成功を収めても失敗とみなされ、純粋な意図ですら愚かさか裏切り行為となってしまう。
 しかしながら自制心が働くため、自らの正当化のためペンを取ることに対しては常に抵抗感が働く。だがやがて彼の沈黙は最も馬鹿げた陰口を黙認するものとなり、不誠実にも悪意が彼に向けられ、軽信性が暗黙のうちに抱かれた真実でない見解を正当化する理由をそこに見出す。なぜなら世論は評判によって形作られ、誰もが言葉を信じるからだ。かくして彼は口論に参加することを強いられる。最もばかばかしく最も間違った非難の重みに押しつぶされたままでいたくないなら、自らを正当化することを余儀なくされる。それが私の現状だ。
 大臣としての私は、共和国暦6年及び7年における私の報告書の発表によって申し開きができる。これらの記録は信頼の置ける資料に基づいており、陸軍省に保管されている。
 今や将軍である私が自らの義務を果たしたと証明すべき時だ。この任務は、自らのことを話す必要があるためだけに、より困難である。しかしもし自分がしていないことを信じられた結果としての俗説を妨げたいと望むのなら、自分がなにをしたかよく話す必要がある。
 陸軍省を離れた私は、3度目となるイタリア方面軍司令官の地位を引き受けた。言及しておかなければならないのは、その地位を提示された何人かの将軍が拒否したために私が指揮権を引き受けたことだ。この献身的行為は滅多にないもので、私が思うに僅かな模倣者しか生み出さないだろう。なぜなら中傷、陰謀及び嫉妬心が私の前にアルプスを越え、その毒を軍の中で精製するであろうことを、私は疑い得なかったからだ。
 大臣が再び司令官になることに伴う不信を隠すつもりはない。私は地位が強いる義務のために兵たちと顔を合わせない軍の憲法上のトップとして、あまりに多くの特殊な利害に伴う怒りを招いていた。従って私は、名誉ある献身の感情と伴に出発した。私より学のある友人たちはこの危険な地位を受け入れるのをやめさせようと無駄に試みたが、私は政府の希望に無条件に従った。
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