そしてモンテベロの戦いだが、調べていると英語wikipedia"
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Montebello_(1800) "に変な話が載っていた。ボナパルトは「もしヴォゲーラとストラデッラ間に兵がいたなら心配せず攻撃せよ。彼らは1万人未満しかいないはずだ」と書いた覚書をランヌに送った、というのがwikipediaの主張なんだが、論拠としてあげているJames R. Arnoldの"Marengo and Hohenlinden"の脚注(p133)を読むと、実はこれボナパルトがベルティエ宛に書いた8日付の命令書の文章であることが分かる。Arnoldの引用元はナポレオン書簡集("
http://books.google.com/books?id=bIO1O1GpUFsC" p351)だ。
おそらくwikipediaの編集に当たった者がArnold本の脚注を見落としたのだろう。確かにArnoldの本文だけ見ると誤解しそうな文章ではあるが、そんなに手間のかかる話ではないのだから脚注まで見ておくべきだった。wikipediaに載っている歴史関連の文章はあまり額面通りに信用しない方がいいというのは前から思っていることだが、その感想を裏付ける事例がまた一つ増えたことになる。
長くなったので以下次回。
コメント