ちょっと急用ができ、しばらく更新できなかった。9月上旬にも同様の空白期間が生じると思う。で、しばらく前の話の続き。前回の考察を踏まえ「七人の侍」について今回は考察というより妄想中心で。
村を守るという仕事を引き受けた勘兵衛の作戦で特徴的なのは、村の守りに敢えて一ヶ所、穴を開けていたことだ。北側の林に面した村の入り口に柵を作らなかったことについて、彼は「良い城にはきっと隙がひとつある。その隙に敵を集めて勝負をする。守るだけでは城は持たん」という一般論的な説明しかしていないが、前回述べたような事情を踏まえてこの理由をもう少し詳細に推察してみよう。
前回も書いた通り、勘兵衛の仕事は40人の民兵で40余騎の騎兵に対抗しつつ160人余の非戦闘員を守るというものだ。正規の訓練を受けず、士気が高いとも思えない民兵が、騎乗した兵を相手に正面から戦うのは難しい。いやまあ戦国時代の兵は騎乗したまま戦うことはなかったとの説があるとか、そもそもあの時代にサラブレッド並みの体格の馬など日本にはいなかったとか、細かいことを言い始めると議論が成立しなくなるのだが、今回はただの妄想なのでそこらへんは無視する方向で。
とにかく相手は騎兵40騎だ。そして騎兵が持つ最大の効果は心理的なものである。地響きを立てて迫ってくる騎兵を前に動揺し、隊列を崩してしまえば、その時点で勝負は決まる。隊列を崩し混乱した歩兵に対して騎兵が多大な破壊力を発揮したのは、飛び道具が標準装備となったナポレオン時代でも同じ。まして騎兵に抵抗する訓練を受けていない民兵を使うとなると、騎兵集団の近接を許せばそれで終わりなのは目に見えている。
従って対抗策として最優先すべきなのは「騎乗したまま接近させない」ことにある。篭城もそのための手段と考えていいだろう。勘兵衛が事前に行った準備もほぼそれが目的と見ていい。まず「この山から逆落とし」(五郎兵衛)される可能性が高い西側には高い馬防柵を設置。南側は「麦を刈ったらすぐ水を入れ」て壕にする。東側には小さいものの斜面の急な川があり、ここも「橋を落とせば」壕のようになって「東から来る敵は防げる」。いずれも歩兵なら乗り越えられる障害物でしかないが、少なくとも騎乗したままでは村内に突入できない仕掛けだ。
だが、そこまでして騎兵の接近を妨げようとした勘兵衛がなぜ北側には柵すら設置しなかったのか。映像で見ても村の北側の入り口はかなり狭く、柵を設ければ簡単に封鎖することができそうだ。その方がより確実に騎兵の接近を防げる。にもかかわらず敢えて北側をがら空きにした理由を考えるなら、いくつかの理由があるように思える。
一つは「主導権を握る」狙い。防戦だけ考えていたのでは相手がどこから来るか分からず、結果として四方全てに気を配らなければならなくなる。だが最初から隙を作って相手を誘導すれば、こちらはそこにのみ対処すればよくなる訳で、それだけ兵力の集中も可能になる。実際、映画で野武士を1騎ずつ村に入れ全員で袋叩きにするやり方は、この主導権を上手く生かしたものだと言えるだろう。
次に「他の弱点から敵の目を逸らす」というのもある。実は大慌てで作り上げた防衛施設のうち、最も脆弱なのは西側だ。ここには南の水田や東の川のような地形を利用した障害物はなく、馬防柵まではその気になれば簡単に接近できる。もし野武士がこの柵に火を放っていたらどうなっていただろうか。柵が焼け落ちればその時点で騎兵が村に乗り込めるようになる。それを防ごうと村人が消火に追われれば他の地域の防御が疎かになる。うっかり村全体を燃やしてしまうと野武士も食糧を手に入れられなくなってしまうというリスクはあるものの、焼き討ちが比較的低リスクで村の防衛を崩せる手段であることは間違いない。
だが、野武士たちの目には西側より北側の方が脆弱に見えただろう。何しろ柵も何もない。狭い入り口さえ突破すれば馬で乗り入れ放題だ。実際には林の中の狭い道を一列になって通り抜けなければ村の入り口にたどり着けないため、北側は防御側にとって本当は守り易い場所だ。その守り易い場所に敵を誘導し、守りにくい場所に積極的に来させないため、敢えて隙を作ったと考えられる。
そして勘兵衛の言う「守るだけでは城は持たん」という理由もある。篭城戦は救援が来ることを前提に行うもの。救援の当てがない状態でうっかり篭城が長引いたりすれば、守備隊にとっては致命的になりかねない。それに前回も指摘したとおり、民兵40人はかなり無理をした動員数だ。短期間で戦闘を終わらせなければ村の経済活動そのものが破壊され、共同体がかなりのダメージを受ける。共同体を守るための戦いなのに、共同体を破壊してしまっては元も子もない。
そう考えると、実は北側をがら空きにしたのは「苦肉の策」だったとも取れる。他の弱点から目を背けさせ、これなら短期決戦に持ち込めると思わせるだけの巨大な隙を作らなければ敵は乗ってこない。だから民兵にとっては大きなマイナスとなる「騎乗した兵に接近されるリスク」を敢えて取ったのだろう。食いつかずにはいられないだけのおいしいエサ、それが柵のない村の北側の入り口だったと思われる。
前にも指摘した通り、元々防御に向かない村。そこを守り野武士を撃退するために勘兵衛は知恵を絞りリスクをとった。その軍略も実際の指揮ぶりも実に素晴らしかった。という結論でいいのかというと、個人的にはそうは思わない。いや、はっきり言って勘兵衛はしなくていい苦労をしたように見える。
村が守りにくいのは確かだろう。ならば無理に村に篭城する必要はない。村の周囲にある山の中で守り易い、少なくとも3方は接近困難な地形に囲まれた場所を探し、麦の刈り入れが終わったら必要な財産担いでそこへ逃げ込めばいいだけの話だ。というか戦国時代の村にはそういう避難場所が多々あったらしい("
http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/8659872.html"など参照)。たまたま「七人の侍」に出てくる村はそういう避難場所を用意していなかったのかもしれないが、だったら探せば済む話。少なくとも村よりは守り易い場所が見つけられたんじゃなかろうか。
村で守りを固める場合でも、やるべきなのにやってないことが多い。最大の問題は飛び道具。村を守る際に飛び道具が使われたのは、野武士が最初に来た時に五郎兵衛が柵の隙間から一人を射抜いたものと、最後の決戦で勘兵衛が村の辻で2回射た例しかないのだ。後は誰も彼も白兵戦しかしていない。実に呆れた対応だ。
柵を築き、物陰から飛び道具で寄せ手を攻撃するのは、篭城戦の基本中の基本だろう。なのに村に向かう侍たちは誰一人として飛び道具を持たずに現地へ向かっている。たまたま落ち武者狩りの獲物として弓矢があったから良かったものの、それも上記の通りほとんど使っていない。まるで飛び道具などこの世に存在しないかのような不思議な対応である。
私が勘兵衛なら百姓にまず石礫を投げさせる。弓矢と違って簡単に入手できるし、手ぬぐいをスリング代わりにすれば飛距離も延ばせる。当たり所によってはかなりのダメージを与えることも可能だ。実際に武田家の配下には石礫衆なるものもいたらしい("
http://plaza.rakuten.co.jp/aosaga/diary/201008040002/"参照)し、石礫の被害は結構大きかったとの主張もある("
http://books.google.co.jp/books?id=KfEZphLlSioC" p191)。短い竹やりを作って投槍に仕立てることも可能かもしれないが、利便性ではまず石礫だろう。
そして実際の戦闘時にはもっと高い場所(例えば屋根の上)に多く人を配置する。上から狙って投げれば飛距離も期待できるし、それだけ相手にダメージも与え易い。特に馬防柵の内側には高い場所に足場を設置し、そこから石礫だけでなく熱湯やら糞尿やらもまとめて落とすことを考えるだろう。最初に野武士が来て、何も考えずに西側の柵のすぐ傍まで来た時が最大のチャンスだ。映画ではこの場面で侍たちは相手の様子を窺っているだけだが、本当は数人から最大10人程度の敵にダメージを与える千載一遇の機会だったと思う。
ただし、映像的に考えると石礫や熱湯は華やかさに欠けるのは確か。そのくせ実際に撮影するとなると怪我をする危険が高い訳で、わざわざそんな映画を撮りたいと思う人はほとんどいないだろう。結局のところ「七人の侍」はフィクション、それも娯楽作品なのだ。上手くウソを織り込みながらもっともらしく見せ、客を楽しませることに重点を置いた作品なのだから、白兵戦中心で全然OKである。
コメント
No title
確か鉄砲が普及した一番の理由は素人を促成栽培で戦場に送り込めるからと聞いたことがあるような。
まあ、農村で狩り用の弓矢がないのは変なのですが・・・・
2011/08/26 URL 編集
No title
鉄砲が弓矢より習得が簡単なのはおそらく事実だと思いますが。
2011/08/26 URL 編集
No title
こんなこといったやつは大うそつき
2011/08/27 URL 編集
No title
それが嘘であるというソースの提示を。できないなら単なる中傷発言でしかない。
2011/08/27 URL 編集
No title
その前に↑こっちのソースっつう気がすっけどね。記事とはうって変わって取り乱してるね。本人?
2011/08/28 URL 編集
No title
>一番の理由は素人を促成栽培で戦場に送り込めるから
わざわざ>一番の理由 と限定して>素人 をもってくる必然性はどっから出てきたんだよwまずその証明だろw(←そんなのいちいちしてくれなくていいけど)
だったら「玄人」は別のより習熟が困難な兵器で戦う傾向が少なくとも実証されてんのかよ(藁
ものの話として>素人 の短期間(←具体的な期間はさておき)訓練の割に鉄砲は威力を発揮した、っつうんなら表現として無いわけじゃないし全く根拠が無いってわけでもないだろうがな。しかしそんなの鉄砲の兵器としての有用性という一文に包含されてる沢山の要素の中の単なる一要素に過ぎんし。
ダレカサンの詰め切れてない選手論評(客観を装ってはいても、所詮は一側面からに過ぎないわけだし)とかも誹謗中傷か?違うだろボケ!(←これは本件と関係無いが)
ブログ主の普段の文章からは考えられない拙速沸騰ぶりは何故(?_?)
2011/08/28 URL 編集