SF小説

 凄く久しぶりにフィクションを読んだ。山本弘「アイの物語」"http://homepage3.nifty.com/hirorin/ainomonogatari.htm"である。なぜこれを読んだのかというと、SFマガジンが初音ミク特集をする"http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/721108.html"のがきっかけ。ネットの「ミクから入った連中に読ませたいSFベスト」"http://togetter.com/li/151476"の中に「アイの物語」が出てきて、そういえばまだ読んでなかったなと気付いたことが理由だ。それにしても2008年に星雲賞を受賞済み"http://www.sf-fan.gr.jp/awards/2008result.html"の初音ミクについてSFマガジンが今頃になって特集をするのは遅すぎるだろう。
 
 フィクションなので基本的に評価基準はただ一つ。面白いか、面白くないか。私としては面白かったんだが、もっと情念あふれた作品を好む人には向かないような気がする。この作者はそもそも感情より理性の勝った人だし、作品も衝動に任せて書かれたタイプのものではなく、きちんと計算して書いたものが多い。この作品もしかりで、「風呂敷の畳み方がきれいすぎて最後が小ぢんまりしてしまった」と指摘されることもあった岩明均の寄生獣を思い出させるくらいきれいに風呂敷を畳んでいる。もともとは別々に発表された短編をここまできちんとまとめ上げるところに作者の論理的思考力が窺える。でも結果として個々の話にはそれほどの迫力は感じられない。
 たとえば1作目、ネットでスタートレックごっこをしている人の話だが、情念系の作品ならきっと人を殺してしまった少年の内面をもっとえぐりこむように描き出していたことだろう。もちろん、オチも違っていた可能性はある。でもこの作品は割ときれいなハッピーエンド。人によっては物足りないと感じるくらいスマートにオチをつけている。一方「アイの物語」という全体の枠内で見ればこの作品が担う「フィクションの力」というテーマはラストまで見事につながっており、作品全体を整合的に創り上げる作者の能力を示す一品となっている。
 2作目はもっとベタベタ。また作品全体の中に占める位置もそれほど重要ではない。確かに仮想空間の話は出てくるが、全体からみれば5作目に出てくる仮想空間の方がより重要な意義を担っているため、2作目はその陰に隠れた格好だ。きちんと拾われていたのは「Yグレード」という言葉くらいか。ただ、身障者でも仮想空間なら普通の人間と変わらない活動ができる可能性というのは、現実を踏まえれば結構面白い視点ではあると思う。
 3作目はAIの誕生を扱っており、全体の中での位置づけには何の問題もない。短編としてみると、これまた風呂敷がきれいに畳まれ過ぎていていささか物足りなさを感じるかもしれないが。それにしてもここに出てくる鏡の中のお姫様はまんまMMDAgent"http://www.mmdagent.jp/"を思い出させる。もちろんMMDAgentはAIではないんだが、世の中にはtwitterのbotを人間だと思っていた人の話"http://d.hatena.ne.jp/coconutsfine/20090309/1236611519"もある(ネタかもしれないけど)わけで、だとすれば鏡の中のお姫様を友達だと思う人もこれからは出てくるかもしれない。
 4作目は宇宙もの。あとAIも出てくる。全体を読めばわかるように最後は宇宙へ出ていく話になっているから、この話もうまく全体の枠内に織り込まれているわけだ。ヒトとロボットの話をそれだけで終わらせず、宇宙に広がる話につなげたのはなかなかうまい。また、この作品の中にはヒトという種の衰退という全体のテーマと絡む話がさりげなく登場してくる。正直この「ヒトの衰退」というテーマについてはあまりリアリティは感じないんだが、フィクションなのだから別に気にする必要はないんだろう。
 5作目は、著者によれば単行本化を前提に書かれた短編だったという。またこの短編の題名「正義が正義である世界」は編集に言われて付けなおしたものらしいが、著者自身が言っているように全体のテーマにもきれいに合致している訳で、この辺りは作品を作り上げるうえで幸運が作用した部分なのだろう。主人公が実は仮想世界の人格という話は、そういえばアニメの「ゼーガペイン」"http://www.zegapain.net/"でも使われていたが、最近のSFでは結構はやりなのかもしれない。
 6作目は書き下ろしだが、著者がかなり力を入れて取材しただけあって老健施設の描写はかなり詳細であり、普通の小説っぽさにあふれている。もちろん介護用アンドロイドがその本心を話し始めてからはそうした空気はなくなり、いつものこの著者らしい小説になっていくんだが。それにしてもアンドロイドが「ヒトはみな認知症」という場面はなかなかおもしろかった。確かにヒトという生物は理屈より感情で動くことが多い、というより感情ってのはヒトが進化の過程で手に入れた適応的な判断アルゴリズムであり、だからいざとなるとまず感情に従うのは進化的に適応的な行動なのだろう。外見はヒトと似ているもののヒトとは違う淘汰圧の下で進化してきた存在がヒトと違う判断アルゴリズムを持つことがあり得るのかどうか、そのへんは私にはわからない。
 6作目にもう一つ入っている伏線は、死期を迎えつつある人への「気休め」として、その人の記憶を介護用アンドロイドがずっと残すという話が出てくるところ。「アイの物語」全体ではそれが「衰亡を迎えているヒトという種の記憶をマシンが残し、宇宙へ広めていく」話になっている。このあたり、全体のテーマを個別の場面に織り込んでいく著者のテクニックのうまさがにじみ出ている。
 最後の7作目は著者らしさがかなり色濃く出ている作品。まあメインテーマを正面から書いている話なのでそうなるんだろう。トンデモ本がらみで見せる一方的な偏見への手厳しい評価みたいなのもほの見えてくる。上にも書いたとおり、この著者は感情より理屈を優先するタイプであり、そうした価値観も窺える。読む人によってはそれよりも作中に出てくるオタクの描写に色々と思うところがあるかもしれない"http://d.hatena.ne.jp/miyama_aruki/20070103/p1"。そういう生々しい手触りの感じられる作品なんだが、それが「理屈に徹しきれないヒト」と「論理最優先のマシン」の行動を対比させるための役割をうまく果たしている。
 以上の7つの短編を著者は最後のインターミッションで上手く統合する。その中でも最初の短編と、ひいては全ての物語とつなげるキーワードとなっているのがマシンの語る「ヒトの夢、フィクションの海は、私たちのふるさと」という台詞だろう。フィクションが力を持つ、フィクションは「真実よりも正しい」ことを、マシンの繁栄こそが証明しているって訳だ。もちろん実際にロボットを生み出したのはフィクションではなく機械工学や電気工学といった現実に基づく技術であり、その意味でここの部分には著者のウソが混じりこんでいる。しかしこの場面にこのウソを投入することでストーリーが見事に完成することは確かだ。かくして精密に組み上げられた建造物のような物語が出来上がった。
 
 論理的整合性という意味で高い完成度を誇るこのフィクションだが、それだけでは多くの読者から「感動した」「泣けた」という感想は得られなかっただろう。読者を感動させるためには、感情というアルゴリズムで行動する人間に合わせたスパイスが必要になる。それがマシン側から表明される「理解されなくていい。ただ許容して」というフレーズだ。寛容とか許しとかいうテーマは人間の感情を揺さぶり易い。そうしたテーマを打ち出せば読み手の心に訴えることができるのはおそらく誰でも知っている。この著者が工夫したのは、感情的でも倫理的でもないマシンが論理を突き詰めた末にそうしたテーマを持ち出すようにした点だろう。「泣かせる作品」は多々あるが、この作品ならではの「泣かせ」のテクニックはそこにある。そして、泣けたという感想が多いという事実は、このテクニックに嵌った読者が多いことを示している。
 一方、私個人はこのテクニックに関しては今一つ嵌りきれなかった。著者の個人的主張としては健全かつ大幅に同意できるし、「ヒトと機械の対立」や「ロボットの反乱」が溢れているフィクション業界においてこうした視点の作品を投入すること自体は評価する。それでも嵌りきれないのは、結局のところそこにリアリティを感じるのが難しいからだろう。フィクションにリアリティなど必要ないことは分かっているが、リアリティがないために読んでいて「醒めてしまう」ことは避けられない。醒めない程度のリアリティがあれば、また違った感想が生まれていたかもしれないが。
 この作品が扱っているのはAIの進化であり、それに対応したヒトの進化でもある。だが進化というものはいつでも「許容」や「共存」をもたらすものではない。それがコストよりも利益をもたらすならいくらでも許容・共存を図るが、逆の場合はいくらでも無慈悲になれる。ドーキンスの言うように「自然淘汰は、どんな心地よさも気にしない」(進化の存在証明、p551)。ヒメバチ科の幼虫は生きたイモムシを体の中から食べるが、それもまた進化のアルゴリズム、ダーウィン的アルゴリズムの結果だ。AIも同じように進化して生まれてきたのなら、彼らが言うべき台詞は「(我々にとって都合がいいから)許容して」ではないとおかしいんじゃないか。
 …というのはフィクションに対する私の個人的な好みに過ぎない。著者が私の好みに合わせる必要は全くないし、それに私の好みに合わなくてもこの作品が非常によくできた完成度の高い作品であることは間違いない。幻想の楼閣、実態のない楼閣、だけどとても美しく完璧な楼閣。それがこの作品を読んだ私の感想だ。
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