モニトゥール紙その10

 北方軍に同行している派遣議員から国民公会へ。
 モブージュの司令部にて、共和国暦2年第1の月第3旬第6日。
 共和国軍は専制君主たちの同盟を打ち破りました。彼らは我々の前から姿を消しました。我々は解放された住民と多くの守備隊の歓呼の中、モブージュへと入城したところです。戦闘は2日間、夜明けから夜まで連続しました。今朝も戦闘再開のための準備を整え、兵が既に武装を整えたところで、送り出された偵察隊から敵の姿はもはやどこにも見当たらないとの報告がもたらされました。そして我々の兵は死体がごろごろしている敵の宿営地を占拠しました。かつて征服しようと思った陣地に対して行われた準備の中でも、これほど恐ろしいものはなかったでしょう。17日もの間、敵が積極的に準備してきた塹壕は、フランス共和国軍の兵以外のどのような兵をも恐れさせ挫けさせたことでしょう。その陣地は難攻不落だと信じたコーブルクは、以下のように言いました。もし彼らが私をここから追い払うことができたら、フランス人たち誇り高い共和主義者であることを認めよう。この宣言は我らの勇敢な兵の下に伝わり、1時間後にその陣地は奪われていました。
 この決定的な瞬間に敵は全ての戦力を集め、我々を少しの間そこから撤収させました。兵士たちは彼らを再び追い払いました。敵はなおもう一回それを奪回しました。最後にこの抵抗に憤った共和国軍は、銃剣を構えて突撃し、勝利を得ました。敵は大慌てで逃げ出し、もしモブージュの守備隊が我々の方で何が起きているかを知ることができ、正面から我々が敵を攻撃するのと同時に出撃していれば、おそらく敵の砲兵は全て我々の手に落ちていたでしょう。
 ジュールダン将軍による最初の試みはコーブルクを打ち負かすことにつながり、彼の才能に対する称賛が上がっています。彼の愛国心は全ての戦友から称賛されています。彼は指揮下にある将軍たちからよく補佐されていました。あなた方は北方軍が祖国に素晴らしい貢献をしたと改めて宣言することでしょう。敵は逃走の際に恐ろしい荒廃をもたらしました。彼らはその地の不幸な住民たちほぼ全員の家を焼き払いました。法はその補償を求めています。あなた方は可能な限り迅速にそうしようと望むでしょう。
 我々はコーブルク麾下の帝国軍による猛威の犠牲者に最も必要なものを提供するため、計20万リーヴルをアヴェーヌ区が一時的に自由に使えるようにしました。
 署名 カルノー、デュケノワ及びバール。
Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Dix-Huitième."http://books.google.com/books?id=j8tnAAAAMAAJ" p165
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