親密さという幻想

 前にバーチャルアイドルのアメリカ公演"http://mikunopolis.com/"チケットが売り切れたという話を書いた"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/52014181.html"が、一部訂正が必要に。箱の大きさが7100席とあったのでそれが全部売れたのかと思っていたが、こちら"http://www.j-cast.com/2011/06/13098282.html"やこちら"http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/045/45501/"の記事を見ると「ディラッドボードの視野角の都合上、[会場を]フルには使えず、また1階席だけで充分と判断して」実際に売り出したのは3500席だったそうだ。それでも2週間で売り切れってのは凄いが、凄さの度合いは前ほどではなくなった。
 いずれにせよ主催者側のもくろみは完全に上回ったわけで、その意味では今年3月の国内ライブと同じ結果になった。あの時もチケットはすぐに売り切れ、映画館での同時上映に踏み切ることになった。どうもこのバーチャルアイドルに関しては主催者側の見通しを超えるファンベースの拡大が起きている模様。今回も2階席を900席分追加するつもりのようだが、海外の掲示板などを見る限りこれもかなり売れそうだ。
 コンサートの接近にあわせたわけではないかもしれないが、AFP通信が初音ミクのニュース"http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5gfGNGhwpj8bCqdb1N8uDG7GWDz0A"を流し、それがまたクウェートやオーストラリアなど各地のニュースサイトで取り上げられている。北米トヨタ"http://www.facebook.com/toyota?sk=app_157550397640342"も相次いで新しいコマーシャルフィルムを公開しており、宣伝強化中。これで実際にコンサートが開催され、そのニュース映像などが公開されたら、またそこで一つ波が来るかもしれん。さてどうなることやら。
 
 海外での知名度向上に伴い、「ここまでバーチャルアイドルが盛り上がった(現実化した)理由」に関する考察が海外のblogでも見かけられるようになった。割とオーソドックスにまとめているのはこちら"http://seekingmiku.wordpress.com/2011/01/19/hatsune_miku/"だろう。技術の進歩と日本の文化的背景が組み合わさって初音ミクがバーチャルアイドルになっていったという分析である。特に面白い分析がある訳ではないが、文末の参考文献&リンク一覧を見ても分かるように結構まじめに議論している。
 もう少し面白いのがこちら"http://www.darkmirage.com/2010/11/23/virtual-idols-and-hatsune-miku/"。ここではアイドルの人気が何によって支えられているかについてillusion of intimacyとズバり断言している。「最強のアイドルとは最も可愛い者でも歌が上手い者でもない。アイドルとファンの間に特別なつながりが実在すると最も多数の人間に確信させられる者である」との指摘は、最近のアイドル業界を見ていると頷かざるを得ない。代表例が先日「総選挙」をやっていた某アイドルグループ。コンセプトは「会いに行けるアイドル」"http://www.akb48.co.jp/about/"で、ファンに身近に感じてもらえることを重視しているんだそうだ。
 アイドルという言葉の由来(偶像)から考えると「身近で親しみのある」アイドルってのは語義矛盾を起こしているような気がしないでもないが、「親密さという幻想」がある意味でアイドル業界を支えていることは否定できない。果たして昔からアイドルというのはそういう存在だったのか、例えば20世紀前半において主に映画で活躍した様々なアイドルたちはどうだったのかといった疑問はあるものの、今現在のアイドルが顔や歌唱力、演技力ではなく「幻想」で人気を博しているのは事実だろう。
 上のblogではそうした現状を踏まえたうえで「本質的にオープンソースなミームがこうした幻想を維持するのは難しいのではないか」と指摘している。アイドルに対して親密さを感じるためには疑念を遠ざける、つまり自分自身を騙す必要があるのだが、人間の姿をしたアイドルよりアニメ的アイコンを持つ初音ミクの方が騙すために多大なる努力を必要とする。加えて初音ミクはファンが自ら創作に参加できるため、「背後にある魔術[アイドルたらしめるテクニック]を全て知っている製作者が製作物をアイドルと見なせるだろうか」という問題も生じる。
 
 このblogの指摘は分からないでもないが、製作者が製作物を偶像視することが絶対にないかというとそれには疑問を覚える。少なくともピュグマリオンは違っていた筈だ。それに、親しみを感じさせる手段の中には「自ら製作に参加する」という手法もある。コミットさせることで、偽りの「親密さ」を演出することは可能だろう。某アイドルグループによる「総選挙」はまさにその効果を担っていると見て間違いない。多額の金を払ってCDを購入し、手に入れた投票券を使って投票することで、自分がアイドル育成に関与した気分を味わう。「親密さという幻想」は人間っぽい見た目だけで醸しだされるとは限らない。対象へのコミットが深ければ、そこに愛着も生まれてくる。
 初音ミクのライブ動画を見ていて私が思った感想の中に、「学芸会のようだ」というものがある。初音ミクは幼稚園の学芸会に登場し舞台で一所懸命演じる園児であり、観客はそれを見に来たお父さんお母さん。両親は(ある意味で)自分たちの「作品」である子供が演じる姿を熱狂的に応援する。自分たちの作った歌を歌う初音ミクに熱狂する観客と、非常に似てはいないだろうか。
 もちろん客の大半は単なる消費者であり、初音ミクの曲や動画や関連ソフト作成に関与している人はほとんどいないであろう。しかし観客の多くはネット動画の視聴などを通じて初音ミクの知名度が上がるのにある程度貢献しているつもりだと思われる。つまり彼らもまた(某アイドルグループに票を投じるファン同様)アイドルの育成にコミットしている気分になっているのだ。コミットしているからこそ親密さも感じている。その親密さは通常のアイドルと同じくただの「幻想」に過ぎないが、それでも初音ミクを偶像視する一つの要因にはなり得る。
 しかし、世の中にはどう考えても初音ミクへの製作コミットが少ない層もいる。国内でも10代半ばより若く、純粋に商品としてVocaloidを消費している人たちなどは、発売初期の頃から支えていたファン層とは違う感覚で初音ミクを見ている可能性がある。また、今回ライブが行われる海外のファンも(初音ミクの英語曲がほとんどない現状を見る限り)同じようにコミットの少ない人々と見ていいだろう。彼らから見れば、初音ミクは学芸会で演じる自分たちの子供ではなく、単なる「よその子」である。そうしたシビアな目で見れば、確かに「親密さという幻想」もあっさり砕けてしまうのかもしれない。
 
 今回の海外公演はその意味で初音ミクにとっての「アウェイ」だ。このアウェイの洗礼をどう乗り切るのか。そこでどうやって「親密さという幻想」を生み出せるのか。それ次第によって今後の海外での広がりが違ってくるんじゃないかと思う。
スポンサーサイト



コメント

No title

mineva
いやいやいや。
そもそもこのコンサート、日本のサブカルチャーを楽しもうという「アニメエキスポ」のイベントの一つですよ。
ミク知らない人ほとんどいませんて(笑)。
昨年のフィルムコンサートでも現地の人大盛り上がりでしたから、「アウェイ」というほどアウェイではありませんねぇ。
もちろん、「ここから」始まる伝説が本当に神話級になれるのか、実に興味深いところではありますよ。

No title

desaixjp
ちょいと説明不足だったかもしれません。確かに客がアニメおたくか否かという視点なら、今回のコンサートはアウェイどころかホームグラウンドのようなもんでしょう。
ですがこのエントリで議論しているのは「客が初音ミクのムーブメントにどれだけコミットしていると思っているか」、文中の比喩で言うなら「学芸会の身内か否か」という議論です。日本でミクを育ててきたつもりの客がいるところを「ホーム」とした場合、米国のコンサートは「身内以外の第三者が見ている学芸会」になるわけで、その意味で「アウェイ」だと書きました。ミクを知っているか否かではなく、ミクを自分で育てたつもりか否か、なんです。
身内以外の第三者をどれだけ魅了できるか、あるいは彼らに「自分もミクの身内だ」とどれだけ思わせられるか、そこに注目したいということです。
非公開コメント

トラックバック