Peter Hofschröerの1815 The Waterloo Campaignはワーテルロー戦役について従来の見方とは異なる視点を持ち込み、話題になった本だ。一方で彼による参考資料の扱い方にはかなり問題があるとの指摘も出ており、色々な意味で議論を呼ぶ本だと言えるだろう。そのあたりはこのページ"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/bruxelles.html"の[追記]部分を読んでもらいたい。 さて、今回オラニエ公に関連するものを調べているうちに見つけたのはこのHofschröerの本(2分冊)のうち前半にあたるWellington, his German Allies and the Battles of Ligny and Quatre Brasに載っていた記述だ。オラニエ公の参謀長だったコンスタン=ルベックが6月15日夜、ウェリントンから「オランダ第2及び第3師団をニヴェールに集結させよ」と命令を受けた場面である。第2師団の一部はキャトル=ブラに布陣しており、もしこれをニヴェールに移せばブリュッセルまでフランス軍の進撃を遮る部隊はなくなってしまう。さてどうするコンスタン。 Hofschröerによれば「ブリュッセルにも最前線の実際の状況が知られているならウェリントンがこのような命令を出すことは決してない、と確信していたコンスタンは、勇敢にかつ正しくこの命令に背いた」(p217)ことになっている。そして彼はウェリントンからの命令を騎兵部隊の指揮官コレール及び第3師団指揮官のシャッセに伝えることで「第2師団に対する事前の命令[キャトル=ブラの兵力を増やせという内容]を補強」(p217)した。以上がHofschröerの描くウェリントンの命令を受けたコンスタンの対応の全貌だ。 彼はこの話を紹介するに際し、脚注で参考文献を挙げている。それがDe BasのLa Campagne de 1815 aux Pays-Bas, Tome Premier"http://www.archive.org/details/lacampagnedeaux00basgoog"だ。実際、同書のp436以降にはウェリントンの命令を受けたコンスタンの行動が紹介されており、その中にはコレールとシャッセへの手紙も載っている(p437)。だが、コンスタンが出した命令はそれだけではない。その次のページには以下のように書かれている。
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