Hofschröerの問題点

 DSSSMさんのblogからリンクをもらったが、そのblogを見るとワーテルロー戦役におけるオラニエ公の評価に関するエントリーがいくつかある("http://dsssm.blog.fc2.com/blog-entry-16.html"とか"http://dsssm.blog.fc2.com/blog-entry-21.html")。さて、実際のところ彼はこの戦役で何をしたのだろうか……ということについて調べているうちに、こりゃいかがなものかと思わされるものを発見した。
 
 Peter Hofschröerの1815 The Waterloo Campaignはワーテルロー戦役について従来の見方とは異なる視点を持ち込み、話題になった本だ。一方で彼による参考資料の扱い方にはかなり問題があるとの指摘も出ており、色々な意味で議論を呼ぶ本だと言えるだろう。そのあたりはこのページ"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/bruxelles.html"の[追記]部分を読んでもらいたい。
 さて、今回オラニエ公に関連するものを調べているうちに見つけたのはこのHofschröerの本(2分冊)のうち前半にあたるWellington, his German Allies and the Battles of Ligny and Quatre Brasに載っていた記述だ。オラニエ公の参謀長だったコンスタン=ルベックが6月15日夜、ウェリントンから「オランダ第2及び第3師団をニヴェールに集結させよ」と命令を受けた場面である。第2師団の一部はキャトル=ブラに布陣しており、もしこれをニヴェールに移せばブリュッセルまでフランス軍の進撃を遮る部隊はなくなってしまう。さてどうするコンスタン。
 Hofschröerによれば「ブリュッセルにも最前線の実際の状況が知られているならウェリントンがこのような命令を出すことは決してない、と確信していたコンスタンは、勇敢にかつ正しくこの命令に背いた」(p217)ことになっている。そして彼はウェリントンからの命令を騎兵部隊の指揮官コレール及び第3師団指揮官のシャッセに伝えることで「第2師団に対する事前の命令[キャトル=ブラの兵力を増やせという内容]を補強」(p217)した。以上がHofschröerの描くウェリントンの命令を受けたコンスタンの対応の全貌だ。
 彼はこの話を紹介するに際し、脚注で参考文献を挙げている。それがDe BasのLa Campagne de 1815 aux Pays-Bas, Tome Premier"http://www.archive.org/details/lacampagnedeaux00basgoog"だ。実際、同書のp436以降にはウェリントンの命令を受けたコンスタンの行動が紹介されており、その中にはコレールとシャッセへの手紙も載っている(p437)。だが、コンスタンが出した命令はそれだけではない。その次のページには以下のように書かれている。
 
「彼[伝令]はペルポンシェ将軍[第2師団長]に、公式に伝えるのを止めてしまうことはできないと参謀長[コンスタン]が考えていたニヴェールへの集結命令を運んでいた」
p438
 
 この本には命令の内容も掲載されているが、そこには明確に「ブリュッセルのオラニエ公殿下から貴下の師団をニヴェールに集めるよう伝えよとの命令を受けた」(p438)という文言がある。何のことはない、コンスタン=ルベックは「勇敢にかつ正しくこの命令に背いた」どころか、上(ウェリントン)から来た命令をそのまま下(ペルポンシェ)に流していたのである。
 第2師団の報告書によれば、この命令は実情を知らない状態で出されたものと彼らに判断され、結局無視されたという(p439-440)。また、コンスタン=ルベックも一応命令を伝えたものの心の中では全然別のことを考えていたようで、その後はキャトル=ブラに兵力を集めるよう尽力している。その意味では彼らが事実上この命令に背いていたことは間違いとはいえない。
 だが、たとえそうだとしてもHofschröerの記述は明らかに不誠実である。彼が利用している参考文献ですぐ次のページに書かれていることを完全に無視し、あたかもコンスタンがウェリントンの命令を第2師団に伝えなかったかのように描くのは、読者をミスリードさせるための意図的なレトリックといわれても仕方ない。報告は伝えたが、結果的にこの命令は無視されたという史実を紹介することこそ、歴史書を書く人間がなすべきことではないだろうか。
 
 最初に紹介したページで書いているように、HofschröerにはPflugk-Harttungの著作の内容を捻じ曲げて紹介した疑惑がもたれている。そして今回の件。正直、私はHofschröerの本の信頼性についてかなり疑問を抱くようになっている。確かに英語文献ではなかなか見当たらないドイツ語史料の引用などが多い点で参考になるが、彼の主張自体は眉に唾をつけて見るようにした方がよさそうだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック