ロンドン・ガゼット オンショットの戦い

 フールネ、1793年9月9日。
 閣下、今月8日にフライターク元帥に対してフランス軍が行った攻撃という不運な出来事についてお知らせしなければならないのはとても残念です。元帥は、既にお知らせする名誉にあずかっていますが、オンショットに布陣しており、右翼をカナルに、左翼をライレルまで延ばしていました。
 敵は前夜に攻撃を行い、撃退されました。しかし当日もあらゆる地点を攻撃し、兵士たちの勇敢な奮闘と、彼らを指揮していたヴァルモーデン将軍の能力にもかかわらず、彼らは戦線中央を突破するのに成功しました。彼はブルサムからステーンキルクまで通っている小さな運河の背後に退却しました。
 損害は極めて深刻なものでした。殿下[ヨーク公]はいまだ何の報告も、さらなる詳細についても伝えられておりません。多くの勇敢な士官が倒れました。それぞれの戦闘における全体の損失はおそらく死者、負傷者、行方不明者合わせて1500人近くと思われます。敵の損害は間違いなくそれより多いでしょう。大砲3門、200人から300人の捕虜が失われました。ハノーヴァー軍も同じ数の大砲を失ったと聞いています。
 7日、殿下はヘッセン軍2個大隊をヴァルモーデンの支援に送り出しましたが、この支援に効果がないと見て取ると、ダンケルク近くに占めた陣地を放棄して全戦力を集結させる必要に迫られました。運搬する手段がなかったため、攻囲のために準備した32門の重砲と蓄えの一部を置いていくしかありませんでした。軍は昨夜行軍し、今朝アディンケルク近くに宿営しました。
 敵はこの作戦のため国内のあらゆる場所から、ライン軍とモーゼル軍から、そして特にカエサル宿営地を占めている兵をかき集めてきたように思われます。ウシャール将軍が彼らの指揮を執っており、捕虜によれば(真実であるかどうかは解明できませんが)彼はレクスポエドで致命傷を負ったそうです。
 6日夜の退却時、アドルフ公子殿下と元帥は、短時間だけ敵の手に落ちました。彼らの前にいるべきだった騎兵の偵察が別の道を取り、彼らは部隊の一つが通過したものの、その後に敵によって占拠されたレクスポエド村へと入っていきました。殿下は剣によって頭部と腕に軽傷を負いましたが、懸念されるような怪我ではなかったと言えることに私は満足しています。元帥も頭部を負傷しましたが、幸いにして同じ程度の怪我でした。しかしながらそれ以降、彼は軍の指揮を執ることができません。殿下の副官の一人だったウスラー大尉が戦死し、ヴァンゲンハイム大尉は重傷を負いました。
 ヴァルモーデン将軍の大胆さと冷静沈着さが、殿下と元帥をこの状況から解放しました。彼は敵がレクスポエドを確保したことを知るや、すぐに兵を集めて躊躇なく攻撃し、敵を徹底的に打ちのめしました。
 この繰り返された交戦における兵士たちの頑強さとよき行動をしのぐものはないと、私は繰り返さねばなりません。中将ウィリアム・アースカイン卿が後衛部隊を指揮し、彼の行動と軍事的才能によって多くが救われました。
 敵は夜に出撃を行い、8日夕にももう一回出撃をしましたが、いずれも双方に多くの損害を出すことなく撃退されました。
 閣下へ、あなたの最も忠実なる僕より。
 ジェームズ・マレー、参謀副官。
 追伸。地形の関係で騎兵はほとんど交戦しませんでした。
 ヘンリー・ダンダス閣下へ。
A collection of state papers relative to the war against France, Vol. I."http://books.google.com/books?id=XPfVRgO8Qs8C" appendix p44
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